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2015年9月10日 (木)

極私的読書ガイド(9) ------ラスマンの申し子たち(6)

ひきつづき、なんらかの意味で『ラス・マンチャス通信』を受け継いでいる作品の紹介。

『ルドヴィカがいる』(2013年)

Ludwika

「語り手が作家という設定の小説を書いてほしい」というのが本作の依頼の趣旨だった。それにかこつけて僕は、僕自身がデビュー前に書いた習作である『さなぎの宿』という作品を、語り手・伊豆浜亮平が作中で執筆中の小説であるということにしてほぼそのまま挿入している。

その『さなぎの宿』という作品自体が、多分に「ラスマン」的な要素(夢と現実の境目が明瞭でないような世界観、その中で起きる不条理なできごとなど)を持つ作品だったのだ。

伊豆浜は、本業である作家業では生活できないため、副業としてライター仕事もしている。その過程で知り合った天才イケメンピアニスト・荻須晶からの依頼で、失踪した晶の姉・水(みず)を捜しだそうとしているうちに、自らが執筆する『さなぎの宿』の作品世界が現実の中に浸潤してきて、境目がわからなくなってしまう。------ざっくりいえば、この小説はそういう物語である。

物語世界が、作中作である『さなぎの宿』という「ラスマン」的な作品に侵されているため、この作品そのものにも「ラスマン風味」がかなりの程度混入しているといえる。ただしこれは、「ラスマン」を受け継ぐやり方としては、どちらかというと小狡くてトリッキーな方法だったかもしれない。

それに、まあこれは本にする前からあらかた予想がついていたことではあるのだが、語り手・伊豆浜の皮肉っぽいところは、どうやら一般読者からはあまり評判がかんばしくなかったようだ。この人物、(境遇などはある程度変えてあるものの)性格や考え方・ものの感じ方などはかぎりなく僕自身に近いので、「語り手に共感できなかった」などと正面切っていわれると若干複雑な気持ちになる。

 

『四月、不浄の塔の下で二人は』(2013年)

Tower

本になったのは一昨年のことだが、その何年も前からずっと構想を温めていた作品。

きっかけになったのは、「平山さんの小説には不思議と“宗教”への言及が多い」という、中央公論新社の担当編集者による指摘だった。この場合の「宗教」は広義におけるそれで、新興宗教や、事実上それと似た役割を果たすもの(自己啓発なども文脈によってはそれに含まれると僕は考えているのだが)一般を指している。

たしかに、そもそも「ラスマン」からして、語り手「僕」の父親が若い頃そういう団体に属していたと思わせる記述がある。それ以降も、パッと思いつく範囲で、『冥王星パーティ』(のちの『あの日の僕らにさよなら』)、『株式会社ハピネス計画』、『桃の向こう』、『偽億』(のちの『遠い夏、ぼくらは見ていた』)などの作品に、そうしたものが(多くは揶揄的に)描かれている。しかし、宗教団体そのものを主題として取り上げたことは、それまで一度もなかった。

「一度、宗教そのものをダイレクトに描いてみてほしい」というリクエストに応じて僕が考えたのが、「新興宗教団体の中で純粋培養され、外部の一般社会の知識をまったく持たない少女が、ある使命を帯びて単身、外の世界に出てくる」という物語だった。

このとき、視点をこの少女に置けば、語りはおのずと閉塞的に、すなわち「ラスマン」における「僕」の語りに近いものになるという確信が、僕には最初からあった。なぜならその少女は、外の世界を知らないという意味でも、ものの見方に究極のバイアスがかかっているという意味でも、「損なわれた者」であることを避けられないからだ。

その点も含めてこの作品は、先述の『出ヤマト記』と双子のような存在であるとも言うことができる。『出ヤマト記』では、少女が「半島の北の某国」という「異世界」に単身入っていく。『四月、不浄の塔の下で二人は』においては、少女はむしろ「異世界」から一人で出てくるのだが、出てくる少女の側から見れば、むしろわれわれの暮らすこの一般社会こそが「異世界」にほかならないのだ。

どちらの作品でも、ファンタジー的な設定は基本的に排除していながら、記述の上でまるでファンタジーのような非現実感を醸すことを狙ったものだ。それがどれだけ成功しているかは心もとないのだが。

蛇足ながら、この作品を思いつくきっかけをくれた担当編集者(やはり、「ラスマン」を絶賛してくれていた)は、僕が実際に作品の執筆に取りかかる前に、中央公論新社を辞めてしまっている(現在は自ら文筆家となり、テレビなどにも出演して、正直僕などよりよっぽど有名な人になっている)。

担当はその後、別の編集者に引き継がれ、その人のもとでこの作品も無事、本にすることができたわけだが、「平山さんが直球で描いた宗教団体の話が読みたい」という元担当者の願いを、僕は期待どおりに果たすことができているのだろうか。------僕は上手にそれを描いてるかい、描けてるかい?(“SAY YES”風にキモチ悪く言ってみたが、自分でも鳥肌が立つ)。

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