« 2016年4月 | トップページ | 2017年2月 »

2016年5月 8日 (日)

最新刊『妻を譲らば』

Img_1018_3

僕にとって24作目にあたる単行本『妻を譲らば』が、中央公論新社より刊行された。

「どこかで見たようなタイトルだな」と思われるだろうが、まったくの偶然である。原稿そのものは昨年11月末時点で脱稿しており、今年の1月に第154回直木賞が発表されるまで、僕はそんなタイトルの本が存在していることを失礼ながらまったく知らずにいた。

タイトルを再考すべきかと一瞬は考えたのだが、あえてこのタイミングでまるで二番煎じの「類似品」のような名称の作品を世に問うのも逆におもしろいかもしれないと思いなおし、結局当初案のまま刊行する運びとなった。まあ、「めとる」と「譲る」はほぼ逆の行為を指しているわけで、フランク・ミュラーと「フランク三浦」ほどのあからさまな懸隔は認められないにしても、別物であることはおのずとわかってもらえるだろうということで。

ところで「妻を譲る」といえば、文学史上でまっさきに想起されるべきは谷崎潤一郎である。昭和5年、友人・佐藤春夫との間で起こした「細君譲渡事件」は、谷崎好きならずともどこかで耳にしたことがあるかもしれない。そして事実この作品『妻を譲らば』は、谷崎潤一郎生誕130年記念作品として書かれたものである。オビの背表紙側に僕自身が寄せたコメントがあるので、引用しよう。

*****

絵に描いたような文学少年であった高校時代、谷崎潤一郎は最も好きだった作家の一人で、全集の七割は読破していた。今回、主だった作品を一気に再読して、実生活で起こした「細君譲渡事件」がどれほどこの人の作品世界に深い影を投げかけているかを再認識した。『蓼喰ふ蟲』をはじめとする一連の作品の現代性にあらためて驚嘆しつつ、その「陰翳」を及ばずながら現代社会にトレースするつもりで書き上げたのが本作である。

*****

執筆意図としてはまさに上記のとおりなのだが、谷崎といえば(いろいろな意味で)真性の変態であったと僕は考えている。ビブリオグラフィーの大半が(なんらかの意味での)変態小説で占められているああいう種類の書き手が、今なお稀代の大作家として不朽の名声を維持しているというのは、よく考えたらすごいことだと思う(※褒めてます)。そういう意味では、僕の作品のレベルは「及ばずながら」どころか、足元が視界に入るところまですら達していないかもしれない。

しかしともあれ、高校時代以来の「谷崎愛」を僕なりに精一杯投入した作品ではある。(一応)ミステリー仕立てで、中卒で消費者金融を立ち上げ、いっとき荒稼ぎをした父・生島龍雄と、その父に反目しながらデザイン事務所を立ち上げた息子・生島将大(まさひろ)、この一見水と油の親子2代にわたる、「第三者が介在する妻との間の特殊な関係」が物語のキーとなっている。

なお、カバーに使用されている写真は、それ自体としてはことさらに性的な要素を含んだものでもなんでもないのだが、そこに「妻を譲」という文字がかぶせられ、しかもそれがピンクで彩られているだけで、なぜか写真までエロいものに見えてくるから不思議だ。昔から「ピンク映画」「桃色遊戯」などというが、人はどうしてこの色におのずとそういう意味を見出してしまうのだろうか。

|

« 2016年4月 | トップページ | 2017年2月 »