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2017年2月 1日 (水)

a statemanet

語らない時期が長くなればなるほど、語れないという思いが強くなっていく。ネットで発言を始めた約12年前から常に思っていたことだ。無理にでもそれに抗おうとする胆力がかつてはあった。それに屈してはいけないという思いにだけ駆られて、僕はなにごとかを綴りつづけていた。

この無差別な「発信」の洪水の中で、あくまでそれを続けていくに足るだけの心の強さが自分にあるとは思えない。いったいそれを誰が求めているというのか。語ることなどは、説明責任を放棄した短い発信を垂れ流し、その結果に関心を持たずにいられる鈍感な人々にでも任せておけばいいのではないかとも思う。それでも、僕はいいかげん語らなければならない。

語るべきことが何もないわけではない。語ろうと思えばいつでも語れる。ただ僕は、あまりにも長いこと沈黙を守りつづけたせいで、語り方というものを忘れてしまっているようなのだ。それを思い出すまで、少しだけ猶予が欲しい。

それまでは、どことなくたどたどしくて舌足らずな語り口になってしまうだろう。それでも許してくれるという人は、僕が再び語りのステージにじわじわと這い上がってくるさまを辛抱強く見守っていてほしい。

どのみち僕には、語ることから逃げつづけていることなどできはしないのだから。

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