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2017年2月14日 (火)

踏み越えていなかったひとつのハードル

年明けから、村上春樹の小説を相次いで時系列で再読している。なぜそんなことをしているのか、その理由はいずれ知らしめることになると思うが、今はまだそのときではない。今言いたいのは、自分がどれだけこの作家から影響を受けていたのかということだ。

僕は1968年生まれだが、この世代で村上春樹という作家をまったく無視できた人はいないのではないかと思っている。影響を受けざるをえなかった(村上春樹的にいうなら、「影響を受けないわけにはいかなかった」)ということだ。たとえそれが、「この人の影響を受けてはいけない」という否定的なスタンスに根ざしたものであったとしても、意識しているという時点でそれはすでに「影響を受けている」ということなのだと思う。そういう意味で、避けて通れないところにこの作家はいたのではないかということだ。

ある時期から------というのは、作家デビューを果たすよりだいぶ前の段階のことを言っているのだが、とにかくある時期から僕は、この人の亜流に甘んじることだけは絶対に避けなければいけないという気持ちで日々、発表するあてがあるのかどうかもわからない小説の原稿を書きつづけていた。

それはある程度成功していると自分では思っていた。そしてある時期以降、自分はほぼ完全に村上春樹の影響下から抜け出すことができたという確信を抱いていた。しかし今、『風の歌を聴け』から通して再読していく中で、その脱却度合いがいかに生半可なものであったかということを思い知らされている。 

たとえば2013年に僕が上梓した『ルドヴィカがいる』はどうか。これは、作家である語り手がある謎の電話を受けるところから物語が始まっている。この出だしは、『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭部分と酷似してはいまいか。

もちろん僕は、『ルドヴィカがいる』を書くときに、そんなことはまったく念頭に浮かべていなかった。僕はただ、なんらかの不条理感や、「これから何が起こるがわからない感じ」を出したくてそういう場面を書いたにすぎない。しかしその「感じ」を実現するために僕が援用したのは、なんのことはない、村上春樹が20年も前に則ったのと同じ作法にほかならなかったのだ。

やれやれ、と僕は思う(村上春樹風)。しかしそれと同時に僕は、だからこそこれを踏み越えなければならないのだとも思うのだ。たとえその努力が、誰からの支持も得られないものであったとしても。

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2017年2月10日 (金)

その名も「変態」

さて、前著『妻を譲らば』が刊行されてから少々間が空いたが、次に出るのは僕が編者として取りまとめたアンソロジーである(3月10日発売予定)。

皓星社がマイク・モラスキー氏・編の『闇市』を皮切りに2015年から毎回テーマと編者を替えて刊行しているシリーズ「紙礫」の第7弾として、ちょっと変わった趣向の中・短編小説を7篇揃えている。取り上げているのは、中勘助、川端康成、蘭郁二郎等の作品なのだが、僕自身の書き下ろしもドサクサに紛れるように1篇忍ばせている。ネット上にもすでにちらほらと情報が現れはじめているが、その名もズバリ、『変態』。

声がかかったとき、一も二もなくこのテーマでやらせてほしいと申し出たのは僕自身だし、「いかに変態っぽいラインナップを組み上げるか」というのは実に取り組みがいのあるテーマで、解説を書いている間もずっとノリノリだった。

少し前、某社の担当編集者にこういう本が出るという話をしたところ、「平山さんの名前が冠された『変態』という名の本が世に出てしまうという点についてはどうなんですか?」と言われたのだが、それに対しても「いやそれは別に」という反応で終わっていた。

しかし今、ネット上で“『変態』  平山瑞穂・編”という文字を見ると、そのインパクトに毎回一瞬ギョッとしてしまう。ああそうか、『変態』というタイトルの本を自分名義で出すというのはこういうことだったのか、と。

なお、本書編集の過程では、候補作選定のためにめぼしい作品をピックアップしつつ、それぞれの作品における「変態ポイント」(ここが変態っぽいと思う要素やその理由)について僕がメモをつけていった資料が作成されているのだが、版元皓星社から、その「変態ポイント」をツイッターで随時アップしてくれているようなので、併せてご参照いただければ幸いである。

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2017年2月 1日 (水)

a statemanet

語らない時期が長くなればなるほど、語れないという思いが強くなっていく。ネットで発言を始めた約12年前から常に思っていたことだ。無理にでもそれに抗おうとする胆力がかつてはあった。それに屈してはいけないという思いにだけ駆られて、僕はなにごとかを綴りつづけていた。

この無差別な「発信」の洪水の中で、あくまでそれを続けていくに足るだけの心の強さが自分にあるとは思えない。いったいそれを誰が求めているというのか。語ることなどは、説明責任を放棄した短い発信を垂れ流し、その結果に関心を持たずにいられる鈍感な人々にでも任せておけばいいのではないかとも思う。それでも、僕はいいかげん語らなければならない。

語るべきことが何もないわけではない。語ろうと思えばいつでも語れる。ただ僕は、あまりにも長いこと沈黙を守りつづけたせいで、語り方というものを忘れてしまっているようなのだ。それを思い出すまで、少しだけ猶予が欲しい。

それまでは、どことなくたどたどしくて舌足らずな語り口になってしまうだろう。それでも許してくれるという人は、僕が再び語りのステージにじわじわと這い上がってくるさまを辛抱強く見守っていてほしい。

どのみち僕には、語ることから逃げつづけていることなどできはしないのだから。

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