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2017年11月23日 (木)

鈴鹿こゆれば蘆江の足跡

21日、滋賀県の甲賀警察署の新庁舎落成式に招待され、父とともに出席してきた。

どうしてそういうことになったのかというと、明治36年、まだ作家として名を挙げる前の曽祖父・平山蘆江が、東京から郷里の長崎まで徒歩で帰った際、道中で食いつめて水口(みなくち)の警察署(甲賀警察署の前身)に泣きついたところ、巡査の園川眞道という人が同情してあたたかいうどんと五十銭をめぐんでくれたという逸話がことの発端になっている。

いたく感激した蘆江は後日きちんとお礼をしようと考えていたが、園川氏の名を覚えまちがえていたために本人を特定することができなかった。しかし、その後作家としての名声を得てからも感謝の念は絶えず、随筆などに当時の思い出を綴ったりしていたら、それが機運となって本人につながり、実に34年後、蘆江はすでに隠居していた園川氏との再会を果たす。その際に蘆江は、感謝のしるしとして書状を贈っている。

「われ不遇の旅でした/ゆきくれて/水口署にころげこみしは/三十四年のむかしなりき/その時の署員/園川眞道氏の親切わすれず/再び水口署を訪まして/その心をのこす」としたためた上で蘆江は、以下の都々逸風の歌一首とともに、当時の徒歩旅行の際の自分の出で立ちを絵に残している。

  鈴鹿こゆれば

   水口晴れて

  むかしなつかし

   秋日和 

水口署ではこの書状を長年大事に保管していて、それは後身である甲賀署にも引き継がれていた。そしてこのたび、甲賀署が老朽化した庁舎を建てなおすにあたって、くだんの書状の一部を大きな陶板にして庁舎の1階に掲げてくださることになった。そういうわけで、曾孫であり蘆江と同じ作家でもある僕に声がかかったのである。

もっとも、僕は蘆江と直接の面識はない。孫として蘆江にかわいがってもらった父のほうが思い入れは強いのではないかと思って声をかけると、父は水口での一幕についてもよく聞き知っていて、ぜひ式に出席したいというので、急遽同道することになった。ただ、父はすでに86歳と高齢である。日帰りはさすがにきつかったので、京都に1泊した。父と二人での旅行など、記憶するかぎりこれが生涯で最初だと思う。

京都から在来線を乗り継いで貴生川駅で警察の方に車で出迎えていただき、新庁舎に向かった。楽隊の生演奏のあとで開催された落成式は、滋賀県知事をはじめ錚々たる顔ぶれの揃ったおごそかなものだったが、続く陶板の除幕式はもっとこぢんまりとしており、おかげで壇上に立たされてもそれほど緊張せずに済んだ。県警本部長さんとともに僕と父とで紐を引き降ろして陶板をお披露目してから(「除幕」というのを初体験した)、挨拶のスピーチをさせていただいた。

ただ、除幕に先立って司会者の女性から紹介された蘆江の書状をめぐるいきさつは、僕が知っている話よりもずっと「美談」めいたものになっていた。たとえば、蘆江は若い頃の「修行中」に偶然水口のあたりを通りかかったという触れ込みになっているが、実際には長崎の養父とあれこれ揉めているさなか、帰省のための資金がなくなってしまってやむなく歩いて帰るはめになったというだけの話だった。また、園川氏がおごったのは(「一杯のかけそば」さながら)「1杯のうどん」とされているが、実際には2杯だった(蘆江がそれだけ飢えていたということだろう)。

いちいち訂正するのもなにかせっかくの美談にケチをつけるようで憚られるが、そのままただそらっとぼけているのもしのびなかったので、スピーチの中で両者のバランスを取るのに少々難儀させられた。

そのあとは、警察署長さんと副署長さんのお二人としばし談笑したのち、副署長さんの案内で新庁舎内を見学させていただいた。庁舎は4階建ての立派なもので、取調室や面会室、留置施設内など、通常なら立ち入ることのできないエリアもつぶさに見てまわれて興味深かった。

京都に1泊した翌日は、せっかく京都にいるのだし、少しくらいは散策でもしたいところだったのだが、高齢の父は前日のミッションを達成した時点で疲れはててしまっていたらしく、正午前に解散となって父だけ先に帰ることになった。僕は一人で東山周辺(知恩院、八坂神社等)をぶらりと歩いてみたが、奇しくも紅葉の絶頂で、「ザ・京都」とでも言うべき雰囲気を堪能することができた。

それはそうと、帰ってから、甲賀警察署を訪れた際に写真をひとつも撮影していなかったことに気づいた。せっかく立派な陶板を飾ってくださっているのに何を考えていたのだろうか。まあ、ほかのいろいろなことに気を取られていたせいでもあるが、インスタグラム全盛のこの時代に、僕は自分が見たものをこまごまと画像で記録するという習慣からはほど遠いところに生きているので、そういう発想に辿りつけなかったのだろう。

そんなわけで、陶板については、事前に甲賀署の方が確認用に送ってくださった画像を転用させていただくことにする。この画像だとわかりづらいが、高さだけでも優に1メートルはあるかなり大きなものであり、陶器製であるということはちょっと見ただけではわからない。天国の蘆江がこれを知ったらいったいどう思うのだろうか。

Photo

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