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2017年11月24日 (金)

「小説新潮」でやりたい放題

「小説新潮」12月号に短編小説『土牢の行く末』を寄稿した。2013年に一度休止した日本ファンタジーノベル大賞(僕の作家デビューのきっかけとなった賞)がこのたび、「日本ファンタジーノベル大賞2017」として再スタートを切ったのだが、その受賞作(柿村将彦さんの『隣のずこずこ』)発表に合わせて組まれた特集「ファンタジー小説の現在」向けに執筆依頼を受けたものだ。

「できればエロくて、ラスマン風味のものを」(「ラスマン」は僕のデビュー作『ラス・マンチャス通信』のオフィシャル愛称。オフィシャルといっても、作者である僕自身がオーソライズしているという意味でしかないが)というのが依頼趣旨だったので、それをいいことに好き放題に書かせてもらった。

今回の作品が、ジャンル名称としての「ファンタジー」に準拠したものかどうかというと、その点はかぎりなく怪しい。いや、たぶんほとんどまったく「ファンタジー」ではないだろう。でもそれを言うなら、当の日本ファンタジーノベル大賞を受賞した『ラス・マンチャス通信』だって、まったく「ファンタジー」ではなかった。

ただしそれは、「ファンタジー」というのを「剣と魔法」的ななにかと捉えたかぎりでの話だ。「ファンタジー」というのは、「作中でなにか現実原則を逸脱したような事象が起こるが、さりとてSFでもなく、ましてサスペンスでもミステリーでも恋愛小説でもホラーでもなく、しかし一方でそれらすべての要素を含む可能性もある、どうにも定義しようのない作品」を総称する名称であると僕は勝手に考えている。まあ今回の作品も、テイストとしていちばん近いのはホラーなのかもしれないし。

いずれにしても、プロットは一瞬で浮かんできて、書き上げるのも一気呵成で実に楽しかった。ここしばらく、アンソロジーや評論などにばかりかまけてきたが、久々に小説を書くと本当にもう楽しくてしょうがなくて、やはり自分は本質的には「小説家」なのだなという思いを強くしている。

ところでそんな僕がいちばん最近出した本は評論『愛ゆえの反ハルキスト宣言』(皓星社)であり、まるで新潮社にケンカを売っているような内容なわけだが、このとおり、「小説新潮」にも新作を寄稿しているわけだし、関係がまずくなっているわけでは決してない。だいたい『愛ゆえの反ハルキスト宣言』は、タイトルこそ挑戦的だが、身近で読んでくれた人の多くが口を揃えて、「これを読んでいると村上春樹を読みなおしたくなる」と言っている。むしろ販売促進につながっているではないか。

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