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2019年8月25日 (日)

二人のアンネ

 先日、「アンネの日記」のオランダ語原書を読み終え=翻訳し終えたことに触れた。細かい検証はあとまわしにして、とりあえず、僕が読んだバージョン(この本は、入り組んだ事情から長短さまざまな複数のバージョンが存在する)にもっとも近いものを底本とした邦訳と思われる本、すなわち文春文庫の『アンネの日記 増補新訂版』(深町眞理子・訳)を通して読んでみている。

 おおむねは、自分も正しく読解できていたらしく思われる。読んでいると、「そうそう、こんな場面があった」「このあと、本棚を装ったドアの向こうに灯りが残っていて、それでみんなが気を揉むはずだ」「おまるがタプンタプンになっていて、中身が漏れていたはずだ」などと具体的に思い出せることからも、それはわかる。

 自力でどうにも読み解けなかった箇所も折々にあるが、たいていの場合それは、手持ちの辞書には必ずしも例示されていない慣用句の類が使われている部分であったり、アンネが皮肉で言っているのを文字通りに解釈してしまっている箇所であったりする(僕自身、訳文の間に、「字義どおり訳せばこうなるが、それでは意味が通らない」といったメモを挿入している)。

 ところでアンネは、日記中にちょくちょくドイツ語(不正確なものが多い)を差し挟んだり、一緒に隠れ住んでいる人が使うドイツ語訛りのオランダ語をそのまま書き取ってちゃかしたりしており、ドイツ語については読み方くらいしか押さえていなかった僕はだいぶ手こずらされたのだが、僕が「その感じ」を出すために訳文に加えた工夫とよく似た試みを深町氏もしているのを発見したりすると、おこがましくも勝手に同士愛のようなものを感じたりもする。

 たとえば、ドイツ語訛りをなかなか是正できないデュッセルさん(フランク一家、ファン・ダーン一家とともに隠れ家に潜伏するユダヤ人歯科医)の台詞をどう訳しているか。深町訳と拙訳とを並べてみよう。

・深町訳:「政治情勢はしゅこぶる良好、われわれがつかまることなんて、じぇーったいにありえない。わたしは、わたしは、わたしは……!」

・拙訳:「政治に関してはシュバラシクうまくいっている。私たちが捕まることはアリエノイ。私は、わた、私は……!」

 一応解説しておくとこれは、デュッセルさんが、「すばらしい」の意のオランダ語「アイトステーケント」を「オイトシュテーケント」、「ありえない」の意の「オンモーヘルック」を「ウンモーグリック」とドイツ語風に発音してしまっているという場面なのだが、この「ドイツ語っぽさ」をどう表現するかという一点においては、僕と深町氏はかなり近いところにいるものと思われるのだ。

 とはいえ、違いもある。深町氏訳と拙訳との比較という観点からいって最も注意を促されたのは、書き手であるアンネ・フランクの「キャラ」の違いである。

 もちろん、原文は同じなのだから、あるできごとが起きたとき、そこでアンネがどうふるまうか、何をどう思うかといった事実関係の部分には差が発生しようはずがない(発生しているとすれば、それはたぶん僕の読解に問題があるということ)。僕が言いたいのはそういうことではなく、結果として訳された文章を読んでいる間に感じられるアンネのキャラが、訳し方の違いによって驚くほど違っているということなのだ。

 原書を読んでいて僕が感じたアンネのキャラは、かんたんにいえば以下のようなものだ。すなわち、基本的に聡明で機知に富み、年齢にそぐわないおとなびた語彙もこともなげに駆使する一方、その分おしゃまで小生意気で、自意識が強く、少々鼻持ちならないところもある、中二病まっさかりの(日記を書いた時点で彼女はまさに中学生くらいの年齢だったのだから、それをもって「病」と称するのはいささか不当だとしても)、今ふうにいえば「こじらせ女子予備軍」と呼びたくなるような、ちょっとめんどくさい女の子、という像である。

 深町氏ももちろん、アンネのそういう特性については十分に理解された上で、しかるべく訳文をしたためておられるものとは思うのだが、結果としてアウトプットされたものとして、深町氏のアンネは、僕のアンネよりもずっと理知的で品行方正な感じがするのだ。ここで僕が何を言わんとしているのかは、実際の訳文を読み比べてもらわないことには正確に伝わらないとは思うのだが、今はそれを省かせていただく。

 もっともこれは、あくまで「受け止め方」の問題であり、どっちがよりすぐれているということではない。翻訳した時点での時代背景の違いもあれば、翻訳者の世代の違いもある(深町氏は僕の37歳も上、僕の父親と同年)。それでも、訳文を読み比べながら、「かくまで違うものか」と驚きつづけるはめになったという点については、ひとこと言っておかねばならないと思った。両アンネが同一人物であるとは、にわかには信じがたいのである。

 なんにせよ、今後はもっと精緻な水準で訳文の比較を行なっていくことになるが、言語オタクを自認する僕にとっては実に楽しい作業になりそうだ(好きでなければこんなめんどくさい作業はできまい)。

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