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2019年8月 9日 (金)

新聞に対する僕のこだわり

 世間で何が起きているのかを知るのに、僕は原則として新聞を利用している(僕の場合、それは朝日新聞である)。第一義的に、新聞を読むことでそれを得ているということだ。それは昔からのことだし、これだけネットメディアが浸透し、隆盛を誇っている今でもその点は変わらない。もう、むきになっているといっていいほど、新聞にこだわっている。

 紙の新聞を取ることは(あとの始末がたいへんなので)さすがにやめて、現在はデジタル版にしているのだが、それでも「紙面イメージ」で読んでおり、速報的に随時追加される記事はよっぽどのことがなければ見ていない。

 それはなぜかといえば、結局それがいちばん事実性に信頼が置け、なおかつバランスも取れていると感じるからだ。

 新聞など旧来型のマスメディアの権威が地に墜ちたことは十分に了解している。「マスゴミ」とか言いたがる人々の言い分も、わからないではない(その「マスゴミ」が「反日」に侵食されている、とかいう主張は別にして)。

 新聞によっては、一般市民の感覚と乖離した独善性や、取り澄ました上から目線が鼻につくということもあるだろうし、その日、どんな記事を特にフィーチャーするかという優先順位のつけ方も、恣意的だといってしまえばそれまでかもしれない。新聞の読者は、あらかじめ組みこまれたある特定の「視点」による検閲を受けた状態で報道に触れることになる。それはとりもなおさず、その新聞が抱えている「思想」によってものの見方を「組織」されることにつながるわけだ。

 しかしそんなのは、読み手側のリテラシーの問題ではないのか。なにもすべてを鵜呑みにする必要はないし、僕だって実際にすべてを鵜呑みにしているわけでもない。ときには、「ああ、この記事はいかにも朝日的だな」とやや引いた視線で失笑気味に見てしまうこともある。

 それでも、天下の朝日新聞なら、事実性の十分な確認も取らずに記事を垂れ流しにすることはまちがってもあるまい、という信頼だけは揺るがないのだ。

 もちろん、失敗がないわけではない。最近でもハンセン病訴訟に対する国側の控訴をめぐって少々勇み足な誤報をやらかしたし、それをいうなら従軍慰安婦問題をめぐって吉田証言を虚偽と認めざるをえなくなったといった大きな失点も過去にはあった(だからといって、「従軍慰安婦そのものが存在しなかった」とか、「存在していたとしても、そこに軍は関与していなかった」などと主張するのは、あまりにも根拠薄弱だと個人的には思うにしても)。

 しかし、そもそもまちがいをゼロにすることなど不可能に近いと思うし、たまにまちがいがあったからといって、朝日新聞そのものが信用できないという話にはまったくならないはずだ。大事なのは、可能なかぎり真摯に事実性を担保しようとする姿勢をそのメディアが保持しているかどうかであり、たとえば朝日新聞に関していうなら、その面においては十分な及第点に達していると僕は考えるのである。事実を報じているつもりで結果としてまちがってしまうことはときにあるとしても、最初から意図してフェイクニュースのようなものを流そうとするようなことは、まさかありえないだろうと。

 それに新聞というのは、政治、経済、国際、社会など、極力オールラウンドな方面から集めた情報を一元的にまとめたものだ。ひととおり目を通せば、「今、何が起きているのか」を、分野の別を取り払って均等に知ることができる。もしもその中に特に興味のある話題があれば、別途ネットなり雑誌なりで情報を補足すればいい。ここで肝腎なのは、あくまで「均等性」なのだ。均等に目に触れること。新聞のページをめくっていけば、いやでもその「均等性」にさらされざるをえない。そういうチャンネルがなにかひとつでもないと、興味のある分野の情報にしか触れなくなってしまいそうで、それが怖いのだ。

 速報性において劣るから新聞は読まない、という人もいるだろう。たしかに、新聞はある時点で堰き止めた情報を提示しているだけで、その後に起きたことについては、夕刊なり次の朝刊なりが出るまでフォローすることができない。しかし、「世の中で起きていること」を知るに際して、そういう意味でのリアルタイム性が、本当に必要なのだろうか。

 もしも僕が株のデイトレードかなにかをやっているなら、話は別だ。トランプ大統領のツイートひとつで、特定の軍需産業がらみの企業の、あるいはGAFAあたりの株価が大きく変動するかもしれない。夕刊を待っていたら、その値動きについていくことができないからだ。

 しかし、世の中のいったいどれだけの人が、そういう意味での情報の即時性に依存する生活を送っているというのか。それを知るのが翌朝になったからといって、いったい生活にどれだけの影響があると? 小泉進次郎衆院議員と滝川クリステルの結婚話をその晩の飲み会でただ一人知らなかったからといって、その後会社では誰も口をきいてくれなくなるとでも?

 だいたい、多くの人は通常、日中は仕事をしているのであって、四六時中最新の情報をネットでチェックするなんてことはそもそもできないし、するべきでもないだろうと思う(業務の一環としてそれが必要というケースでもないかぎり、そうしている人がいるとしたらそれは給料泥棒だ)。そこでどうしてそんなに即時性が問われるのか、僕には意味がわからないのだ。

 つらつらと書いてきたが、そんな僕に問題があるとすれば、逆にネットではほとんどいっさい情報を得ようとしないところなんだろうと思う。ネットというものにものすごい、拭いがたい不信感がある。なんで信用できないのかというのは説明しようと思えばあれこれと理由を挙げることもできるが、たぶんこれはそういう合理的な説明で解消できるような問題ではなく、単なる「嫌悪感」なんだろうということもわかっている。つまり、言いがかりに近い(だからあえて言わない)。

 しかしそんな態度では、この時代、誰ともわかりあえないんだろうなとも思っている。そういう人間がマスに向かってコンテンツを提供する側に回っているということが、笑うに笑えない根本的な矛盾なのだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

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