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2020年1月24日 (金)

クーをめぐる顛末(1)

Coo_inthebox

 いっとき、twitterで連日のように「本日のクー」として画像つきでクーの動向をレポートしていたが、途中でそれをやめてしまった。なぜやめたのかというと、去年の3月ごろからクーの具合が本当に悪くなってきて、日々呑気にレポートするどころではなくなっていたからだ。今さらながら、その顛末を、次回と合わせて2回にわたって報告しよう。

 結論から先に言っておくと、クーはその後すっかり復調して、今は毎日元気にしている(上の画像は最近のクー)。1ヶ月半おきくらいに経過観察の意味もこめて血液検査を受けさせてもいるが、今のところまったく問題がない状態だ。しかしそうなるまでには、山あり谷ありだった。

 もともと去年の年明けくらいから頻繁に吐くようになっていて、近所の行きつけの動物病院で診てもらっていたのだが、確たる理由がわからないままだった。エコー検査の結果、胃の中に不審な影が見られたことから、異物を誤飲した可能性があると指摘され、半日かけて造影検査(要するにバリウムを飲ませて腹部レントゲンを撮影すること)まで受けさせたのだが、やはり原因を突き止めるまでには至らなかった。

 妻は早い時期から、日本の動物医療においては最高峰といわれる東大附属動物医療センターで検査を受けさせるべきだと主張していた。先代の猫ういが、やはりある時期から頻繁に吐くようになり、同じ地元の動物病院でさんざん調べたにもかかわらず理由がわからず、動物医療センターに紹介してもらって調べた結果、たちどころに肺がんと判明したという経緯があったからだ(咳などもほとんどしていなかったから、肺の疾患だとは思いも寄らずにいた)。

 ただし、ういはその時点で末期に至っており、もはや手の施しようがなかった。できたのは、自宅で皮下点滴だけ行なって命をつなぎながら、その命の火が尽きるまで看取ってやることだけだった。そのときのやるせなさをよく覚えていた妻は、手遅れになる前により専門的な診断能力を持つところに早く託すべきだという考えだったのだ。

 当時、ういを病院に連れていっていたのはもっぱら妻だったし(僕がまだサラリーマンと兼業だった時代のこと)、その言い分も理解はできたのだが、クーは頻繁に吐くということさえ除けば元気そのものであり、そして目下、日がな一緒に家にいてクーの様子を見ているのも、病院に連れていくのももっぱら僕になっている。その僕が見て、そこまで深刻な事態になっているとは思えなかったし、地元の病院もとても熱心に診てくれているので、安易に紹介状を書いてもらうのもどうかというためらいがあったのだ。

 しかし、造影検査を受けてもはっきりしたことがわからなかった時点で、これはもう東大附属動物医療センターに診てもらうしかないだろうという結論になった。そして3月26日、初めてここでの検査を受けた結果、思ってもいなかった病名が告げられた。

 肥満細胞腫と呼ばれる、血液がんの一種である。「肥満」と称しているが、患畜自身の肥満度とは関係がない(実際クーは、やや太り気味とはいっても、病的なレベルでの肥満には達していなかった)。がん化している血液細胞が肥満して見えることからその名がついているという。

 動物医療センターとしては、脾臓が異常に肥大していることからそれを疑い、脾臓組織の一部を顕微鏡で見た結果、その診断に至ったという。そして、脾臓で発生したその肥満細胞腫が、すでに血管を経由して肝臓にまで浸潤している疑いがあるとの説明だった。やはり、さすが東大附属だ。地元のクリニックも熱心ではあるが、蓄積された知見の水準が比較の対象ではないのだろう。

 対処としては、脾臓の摘出以外にはほぼ選択肢がないと聞かされた。さいわい、脾臓が担っている機能は、他の臓器でも代替できる上に、この病気は脾臓が司令塔の役割を果たしており、脾臓さえ摘出してしまえば、他の臓器に浸潤した肥満細胞腫も自然に減衰することが多いのだという。

 気になるのは、それで当面の危機は回避できたとして、その後の余命はどれくらいあるのかということだった。担当の先生は確答を避け、こんな言い方をした。

「仮にそれが1年だとして、それが長いのか短いのかというのは、解釈の問題だと思います。この子はすでに12年生きているわけで、自然にしていてもそれが寿命だったという考え方もあるわけです」

 何も答えていないに等しいが、うかつなことを言って言質を取られてはまずいという意識も働いているものと解釈できた。いずれにしても、言葉どおり「1年」ということはないにしても、そう長くは生きられないと覚悟を決めておいたほうがよさそうだと思った。

 それでも僕と妻は、一も二もなく脾臓摘出手術を受けさせるという方向で意見が一致し、その場で執刀を依頼する流れになった。ただ、妻の仕事の都合や執刀する先生のスケジュール上の都合もあり、入院日は3週間近く先になってしまった。その間は投薬によって嘔吐も抑えられていたのだが、いざ入院日を迎え、手術前の検査を行なったところ、担当の先生は渋い顔をした。

「肝臓の数値がだいぶ悪くなっています。前回の検査の時点では、手術にも耐えられるであろうコンディションだったんですが、この3週間でそれがだいぶ悪化してしまいました。手術は可能ですが、このままだと当初見込んでいたよりも大きな負荷が体にかかってしまう可能性があります。術後も無事でいられる確度が低くなったということです」

 だからといって、手術を先延ばしにしてもコンディションがよくなるという保証はない。僕たちとしては、予定どおり執刀してもらう以外に道はなかった。

 入院は4泊5日の予定で、手術は入院日の翌日だった。当日は立ち会うこともできず、ただ結果が知らされるのを待つしかなかった。妻は仕事に出ていたが、僕はいつもどおり在宅していたので、手術の時間が近づくともう居ても立ってもいられず、日課であるランニングの時間をあえてそこに充てた。走っていれば、よけいなことを考えずにいられると思ったからだ(現実には、それでも考えてしまうことを避けられなかったのだが)。

 生きた心地もしなかったが、やがてセンターから電話がかかってきて、手術は無事成功し、今のところ大きな問題はなさそうだと聞かされた。全身から力が抜けて、その場にくずおれてしまいそうだった。

 翌日から連日、東大本郷キャンパス農学部の敷地内にあるセンターに見舞いに通う日々が続いた。東大附属だけあって、見舞いを受けつけているのは日中だけだ。妻は仕事があるので、僕が行くしかなかった(もちろん、僕にも仕事はあるのだが)。ちなみに、入院中の患畜に会いに行くことをセンターでは「面会」と呼んでいる。とても奇妙な表現だと思うのだが、それをいうなら「見舞い」というのもどことなく変だ。

 それはともかく、2日ぶりに顔を合わせたクーは、恐怖と心細さのあまりか、なんだかうつろな目をしていた。抱きかかえればおとなしく抱かれてはいるのだが、普段と違って喉をゴロゴロいわせるでもなく、僕とも決して目を合わせようとしない。

 毎日通っているうちに少しずつ表情が緩んできて、退院日にはようやく僕の知っている顔つきに戻ったものの、最初の頃は、このままクーは心を通い合わせられない存在になってしまうのではないかと心配になったほどだった。下の画像は、見舞い初日に待合室で撮影したものである。

Coo_outofhospital

 ——以下、次回に続く。

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