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2020年2月15日 (土)

ある業界内告発

もちろん全員とは言わない。しかし、編集者と呼ばれる人々の中には、まちがいなく一定量、社会常識をわきまえていないとしか思えない人が含まれている。

たとえば、こちらから(明瞭になんらかの回答を求めている)メールを何通送っても、無視しつづける人。こっちだってなにも、頭ごなしに恫喝しているわけでもないし、ストーカー的に毎日たてつづけに送ったりしているわけでもない。相手の立場や都合も考慮しながら、それでもていねいに事情を説明した上で、あくまで控えめになんらかの応答を求めているだけだ。

すぐに返信がなかったとしても、「忙しいのかもしれない」などと慮り、1週間、2週間、場合によっては1ヶ月もスパンを置いてから、「お送りしたメールはご覧になっていただけているでしょうか?」と確認しているにすぎない。

それでも、返信はない。その時点で、その神経が僕には理解できない。

色よい返事を返せないことが気まずいのかもしれない。ただでさえ、それまで長い間自分からは連絡ひとつしなかったことで引け目に感じているのかもしれない。だとしても、「何も返さない」ことでそれが解消できるだろうか。いつまで経っても返信を受け取れない側が、どんな思いでそれを待っているのか、想像してもみないのだろうか。

こちらが求めていることを果たせないなら、それはそれでいい。ただその事実を率直に告げてくれさえすれば、それで済む話なのだ。こっちだって大人なのだから、できないこともあるということくらいハナから承知している。

そういうことも踏まえて、「むずかしいとは思いますが」とか、「むずかしいということならそれでかまいませんので」などとあらかじめ逃げ道を設けてあげていることさえある。それでも返事ひとつよこさないというのは、いったいどういうつもりなのか。

僕が彼らに「社会常識がない」というのは、そういうケースだけに留まる話ではないのだが、「こういうところがおかしい」というのを具体的に例示するだけでかなりの字数を費やしてしまうと思われるので(さりとて具体的に例示しないと、そのおかしさは伝わらない)、それは控えておこうと思う。

とにかく、作家になって驚いたことのひとつは、それだったのだ。作家が非常識というのなら、まだわかる。僕自身は、サラリーマン時代もそこそこ長かっただけに、そういう意味での非常識さはたぶんかなり稀薄な作家であると自認しているのだが(自認しているだけで、実際には違うのかもしれない)、編集者といったら普通は仮にも会社員ではないか。

それでそんな社会常識の欠如を抱えているのだとしたら、どうなってしまうのか。それとも、仕事上相手にしているのがもっぱら(非常識な人であることも高頻度でありうる)作家だから、そういう欠点がたまたま表面化していないだけなのか?

そういう「なにか大事なものが欠けた編集者」には、作家になってかなり初期の頃から折々に遭遇していたが、作家としての僕の立場が格段に弱くなってからは、さらに遭遇率が高まる次第となった。もちろん、売れっ子作家よりも気を遣わなくていい相手だから、ということなのだろうが、僕が問うているのはそれ以前の問題、人としての姿勢、社会人としてのあり方なのだ。いいのかそれで?

そんな中、今日はある編集者からメールをいただいた。もう何年も前に、某誌に連載して単行本化された作品を担当してくれていた人だ。その本も例によってまったく売れなかったため、「次の仕事」に続いたわけでもなく、その人とも仕事上の関わりはほぼ絶えて久しかったのだが、勤めていたその出版社を退職するにあたって、ひとこと「お世話になりました」と述べてくれたのだ。

その人は、くだんの作品を通じて関わりがあった頃のちょっとした思い出話も添えてくれていて、ちょっと胸が熱くなった。たとえ、その後具体的には仕事に結びつかなかったとしても、こうしたメールが1通あるだけでまったく違う。でも現実には、ひとことの挨拶もなく知らぬ間にフェードアウトしてしまう編集者が大半なのだ(僕はそれを、久々に送ったメールが戻ってきてしまうことによって知ることになる)。

忙しいのはわかる。気まずいのもわかる。でも、だったらひとこと、「残念ながらその後、お仕事でお力になることはできませんでしたが」などと言い添えてくれさえすれば、こちらとしてはすっきりした気持ちでその人を見送ることができるのに、と思う。

でもまあ現状、関係が今もってアクティブである編集者など数えるほどしかいないので、今さらこんなことを言ってもあまり意味がないのだろう。今日は、長年の間にひそかに溜め込んでいた釈然としない思いを、つい吐露してしまったというところだと思ってほしい。

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2020年2月10日 (月)

『冥王星パーティ』の消された部分

前回、『あの日の僕らにさよなら』すなわち『冥王星パーティ』で、第一稿の約800枚から300枚分ほどの過酷なダウンサイジングを余儀なくされたいきさつについて書いた。その過程で、何人かの重要人物を消したことについても述べた。実は、当の第一稿の文字データは、今でもまだそのままの形で保持している。

主人公の一人である都築祥子が、物語の終盤では本来、奥多摩の豪邸で富豪に雇われているという設定だったこともすでに述べたとおりだが、そのくだりに登場する「皆井」という人物のことを、書き手である僕自身はとても気に入っていた。祥子が身を寄せるのは、大手製薬会社である「コーシン製薬」の創業者であり、現在は会長職も退いて隠居生活を営む船津甚三郎なる人物のもとなのだが、皆井もまた、その船津にお抱え運転手のような立場で雇われている身なのである。

以下は、いろいろあって11年ぶりに祥子と連絡のついたもう一人の主人公・桜川衛が、祥子が現住所で開催するという「ささやかな宴」に招かれ、言われるままに奥多摩駅前まで赴き、まずは皆井に迎えられる場面である。

*****

 まもなく、駅前にただ一台だけ停めてあった白いライトバンから、サングラスをかけた白いウインドブレーカーの男が出てきて、こちらへ向かってきた。どちらかというと関わり合いになりたくないタイプの人間に見えて躊躇したが、ためしに注意を促すように会釈をしてみる。しかし男は、一瞬だけ怪訝そうに衛の方を見ただけでその脇を素通りし、背後にあるトイレに向かっていく。
 途端に、祥子名義で送られてきた招待状の真実性が疑わしくなってくる。ともすれば、結果として衛一人になること自体、仕組まれたことだったのではないか。自分を陥れるために、望月と香原とでひと芝居打った? いやそれなら、仕掛人の顔がわかるだけまだましだ。彼らが無関係だとすれば、いったい誰が、何の目的で衛をここに呼び出し、酷寒の中放置しているのか。
 匿名の悪意のようなものが、不意に肌で直接感じられるような実在感を伴ってまといついてくる気がして、衛は怖気をふるった。そのとき、目の前に男が現れた。
 威圧感を覚えたのは、衛の視界すべてを覆うほど背が高かったためで、よく見れば前頭部が禿げ上がった、どこか愛嬌のある顔立ちだ。その見かけから想像するよりずっと深みのある青年らしい声で、男が言った。
「失礼ですが、香原さんか、そのお友達の方では?」
「あ、はい……桜川と申しますが、都築さんのところから?」
「ええ、皆井という者です。お迎えに上がったんですが、三人でいらっしゃるものとばかり思っていましたので……。桜川さんですね、お名前は伺っております」
 衛の中に、安堵が広がった。
 ブルージーンズにモカブラウンのシベリアンパーカー。皆井と名乗るこの男は、着ているものこそカジュアルだが、姿勢のよい長身とあいまって、全体にしゃれた雰囲気が漂っている。五十は過ぎているだろうと思われる年齢のわりに、ずいぶん若々しい。それに、メガネの奥の細い目や声の響きに、理知的ななにかを感じさせる。暴力的なことに自ら手を染めたり、それに加担したりすることはなさそうに見える。
「すみません、ちょっとわけあって、私一人になってしまったんですが……」
 そう言いながら衛は、この瞬間まで皆井はどこに身を潜めていたのだろうと訝った。どこかから衛の姿を認めて近づいてきたその気配もなく、だしぬけに目の前に出現したかのように見えた。
「そうですか、お一人でもお出でになれてよかったです。祥子さん、お待ちしてますから」
 皆井はそう言ってそつなく笑いながら、駅前の道に出て、陰になっているところに衛を誘導した。駅の敷地内から続く通用口のようなところに、黒塗りのベンツがひっそりと鎮座している。
「こんな大げさな車ですみませんね。もちろん、私の私物ではないんです。私はいわば、船津会長の……もう会長ではないんですが、私はどうも落ち着かなくていまだにそうお呼びしてるんですが、とにかく私は、会長のお抱え運転手みたいなものですので」
 後部座席のドアを開いて手慣れた様子で衛を招じ入れるさまはまさに「お抱え運転手」然としているが、この男は最初からこの仕事をしていたわけではないだろう、となんとなく直感した。
「十五分ほど、走ります」
 皆井はそう言うなり、アクセルを踏み込んだ。ベンツ特有の鈍い振動がシートから伝わってくる。顧客の中にベンツを乗り回している社長がいて、何度か、送るというのを断りきれずに乗せてもらったことがある。ただ、証券マンとしてではなくベンツに乗せられるのは、初めてだった。
 ベンツはゆるやかに車道を滑り、橋をひとつ渡り、ふたつ渡った。コンビニやガソリンスタンドなど、この時間まで営業しているいくつかの店舗を通り過ぎてしまうと、道の両脇はもう死に絶えたように真っ暗になった。そこまで無言でハンドルを繰っていた皆井が、ようやく人心地がついたとでも言わんばかりに口を開いた。
「遠かったでしょう? これでも東京都なんですがね」
「そうですね……。皆井さんも、こちらにお住まいなんですか?」
「今はね。会長宅に住み込みで働いてます。会長宅と言っても、これから向かうところはもともと別荘みたいなもので、会長ご自身、週の半分は渋谷の本宅でお過ごしになってるんですがね。お聞き及びかどうか、人工透析を受けておられて」
「ああ……だそうですね」
 そのために通っていた都心部の大病院で、祥子を見初めたのだと榛菜から聞いている。
「普段はその送り迎えに忙殺されているってところですね、私は」
 そう言って皆井は笑った。特におかしくもなかったが、衛も調子を合わせて「ははぁ」とあいまいに笑った。
「そうすると、皆井さんはコーシン製薬の社員と言うよりは、船津会長ご自身に雇用されておられるわけですか?」
「社員……でした、昔は。もう十年ほど前ですが」
 続きを言うものかと待ってみたが、皆井はそれきり無言でハンドルを操作している。それ以上突っ込んで訊くのも憚られて黙っていると、その正当な続きであるかのような口調で皆井の方から再び口を開いた。
「今は個人契約ですので、祥子さんとはまあ、言わば同僚ですね」
「あの、それなんですけど……」
 衛はその言葉尻を捉えて、少し運転席の方に身を乗り出した。
「実は僕、よくわかってないんですよ、都築さんの、そちらにおける立場とか。そもそも、僕なんかが今日こうしてお邪魔するのは、なにかとんでもなく場違いなことだったりしませんか?」
「それはないでしょう」
 皆井は言下に否定した。
「会長ご自身、今日はこちらにいらっしゃいますし、あなたがたが……いや、結局桜川さんだけになってしまいましたが、とにかく、祥子さんの古いお友達がいらっしゃることは承知していらっしゃいます。たぶん、最初だけ挨拶に見えると思いますよ」
「あの、ぶっちゃけたところ、都築さんは、会長にとってどういう……?」
「愛人なんじゃないかってことですか?」
 そう言いながら皆井は笑った。
「愛人ではありませんよ。一介の被雇用人に過ぎません、私と同じように。私が会長の送り迎えをすることで給料を頂いているように、祥子さんもあの屋敷である役割を担うことによって給料を受け取っているだけです。気にされているのはたぶん、その“役割”が、性的な内容を含んだものなのかどうかってことなのではありませんか? だとしたら、答えはノーです。おそらく」
「おそらく?」
 皆井は口をつぐみ、言葉を選ぶような間を空けてから続けた。
「会長は今年で八十五になられたご老体です。その老いた脳の中でどんな幻想が渦巻いているのかは、誰にもわからないってことです。もちろん、私にもね。でもそれは、会長のプライバシーに属することですからね」
 皆井はそんな謎めいたことを言って、くすくすと笑った。
「ま、とにかく、心配なさるようなことはありませんよ。会長は、与えられた仕事をしているとき以外の祥子さんには興味をお持ちにならないんです。もちろん、その交友関係にもね。ほぼ、自由放任です。ただ……そうそう、ひとつ、申し上げておかなければならないことがありました」
「何でしょう?」
「会長は祥子さんのことを“トシエさん”とお呼びになると思いますが、戸惑われないように」
「“トシエさん”、ですか?」
「桜川さんまで調子を合わせてそうお呼びになる必要はありませんけどね。会長にとって、祥子さんは“トシエさん”なんですよ。それだけ、覚えておいていただければと」
 道が山腹に沿って大きなカーブを描き、わずかばかりの街の灯が、闇の底にたゆたう鬼火のように一瞬だけ浮かび上がってすぐ森に呑まれた。まもなくベンツは右折して森に挟まれた細い道に入り、ライトが届く範囲以外のすべてが真っ黒に塗り込められた。
 道幅や視界の狭さが引き起こす錯覚なのか、この道に入ってからの方が皆井の運転が荒くなったように感じられ、斜め後ろからの横顔だけが見える皆井の人格までもが豹変してしまった気がした。しかし、衛の不安が本格的なものに変わる前に、皆井はそれまでどおりの知的で穏和そうな顔で振り返って、「じきですよ」と言った。

******

 14年も前に書いた文章ではあっても、われながら、綻びひとつ見られない文章だと自画自賛したくなる。こういったくだりを丸々破棄しなければならなかったのは、本当に惜しいと今でも思う。というか、今でも僕の中には、この「皆井」という人物が確たるリアリティを備えた人物として存在しているのだ。

 しかしその一方で今さらながら思うのは、この書きぶり、「なんか、村上春樹くさくないか?」ということだ。『愛ゆえの反ハルキスト宣言』で村上春樹をさんざんこきおろした僕だが、影響を受けていたことはやはりどうにも否定できないようだ(もちろん僕は、あの本の中でもその点については最初から素直に認めているのだが)。

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2020年2月 7日 (金)

『あの日の僕らにさよなら』をめぐる複雑でめんどうくさい思い

 僕は現在、twitterのプロフィール欄に、「代表作は『あの日の僕らにさよなら』と書かざるをえないのが本人としてはなんとも不本意」との一文を添えている。気にしている人などほとんどいないだろうが、その一文の真意に当たるものを、ここで述べておこうと思う。あの本に惹かれて僕の存在を知った人がくだんの一文を見たら、落胆したり怪訝に思ったりするかもしれないからだ。

 『あの日の僕らにさよなら』は、僕にとって4作目の長編小説だ。単行本として刊行された2007年当時は、『冥王星パーティ』というタイトルだった。それはまったく売れなかったのだが、2012年の暮れ、文庫化に当たって現タイトルに改題されてから、風向きが変わった。

 しばらくするとどうした拍子かじわじわと売れはじめ、本格的に火がついてからは毎週のように重版の連絡が入り、最終的には10万部を超えるヒットになった。それでもいわゆるベストセラーに比べればささやかな数だが、ほとんどの本が初版止まりである僕にとっては、未曾有の売れ行きだったといっていい。

 それ以外に、僕の本で「売れた」といえる作品は、ほぼない。映画化もされた『忘れないと誓ったぼくがいた』は若干売れたが、それもあくまで「若干」レベルだ。だから僕は、自分の代表作としては、好むと好まざるとにかかわらず、『あの日の僕らにさよなら』の書名を挙げないわけにはいかないのだ。

 それをどうして「不本意」とあえて明記するのかというと、著者本人としては、売れたかどうかにかかわらず、あれよりずっとすぐれた作品がその後ほかにいくらでも書かれているではないか、という思いを否定できないからだ。

 もちろん、『あの日の僕らにさよなら』——というより、『冥王星パーティ』という作品に対する思い入れは、僕自身にもそれなりにある。

 定義不能な怪作である『ラス・マンチャス通信』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞することで作家デビューを果たした僕は、その後の作家としての路線をどう引いていくのかという問題にしょっぱなから対峙させられ(というのは、デビュー作のままの路線では、カルト的な人気を博す可能性こそあれ、一般的にはまったく注目されないであろうことが自明だったから)、続く2作では迷走の限りを尽くしている。

 『忘れないと誓ったぼくがいた』は、当時流行っていた「セカチュー」や「いまあい」などの純愛路線を露骨に意識したものだったし、3作目の『シュガーな俺』に至っては、自らの糖尿病体験をベースにした半自叙伝的な内容、とまるで一貫性がなかった。デビュー作から続くこの3作で、僕の統一された作家像を形成するのは困難だっただろう(なぜそのタイミングでそういう作品を書いたのかには、それぞれそれなりの必然性があったにしても)。

 『冥王星パーティ』は、そうした迷走にいったん区切りをつけ、「この路線で行きます」という意思表示を果たすべく書いた、当時としては会心の作だった。僕個人としては、一種の仕切り直しというか、「再デビュー」に臨むくらいの気構えだったのだ。

 日本ファンタジーノベル大賞でデビューした僕だが、僕がそれでデビューしたことは単なる偶然にすぎず、僕自身は自分のことを「ファンタジー小説作家」だなどとは最初からかけらも思っていなかった(「ファンタジー小説」なんてものは存在しない。小説そのものが、必然的にもともと一種のファンタジーなのだ)。デビューによってついてしまった色を、僕は『冥王星パーティ』でいったんリセットしたかったのである。

 しかし、気負いすぎたせいか、僕は執筆途上で致命的な失敗をやらかした。

 当初、4百字詰め原稿用紙換算で「400枚程度」(標準的な1冊に当たる分量)にすると銘打って書きはじめたところ、書いている間に乗りに乗ってしまい、気持ちの赴くままに書き進めていったら、第1稿はなんと800枚ほどの大部の作品になってしまったのだ。それでもなんとかなるだろうとタカをくくっていた僕は、当時の新潮社の担当編集者からのひとことに言葉を失った。

「おもしろかったです。でも、長すぎます。300枚程度減らしてください」

 800枚のうちの300枚といえば、半分にも迫る分量だ。それを削れというのか――。しばらくは原稿を読みかえす気にすらなれずに放置していたが、それではなんの解決にもならない。やがて僕は肚を決めて、言われたとおりのダウンサイジングを図るべく、原稿に再び向き合った。

 当然、設定の一部も根本的なレベルで改めざるをえなかったし、その過程で、存在自体を消された重要キャラクターが何人も発生した。

 『冥王星パーティ』というタイトルは、主人公の1人である都築祥子が、物語の終盤、国立市のアパートで人目を憚るようにひっそりと一人暮らししながら、「ここにいると、まるで一人で冥王星(=この世の果て)にでもいるみたいな気持ちになる」という意味のひとことを漏らすところから来ている。

 でも本来、このタイミングで祥子が住んでいるのは、国立市ではなく、奥多摩のはずだった。奥多摩駅から車でさらに何十分も山のほうへ向かった先にある、人里離れた豪邸で、年老いた富豪の身のまわりの世話をする介助人のような立場で雇われ、俗世とはほとんどの交流を絶っているという設定だったのだ。だからこそ、そこが「冥王星みたい」という祥子のつぶやきも当を得ていたのである。

 でも結果として僕は、その「奥多摩パート」を丸々削除し、そこに登場していた人物を何人も消去した。そして舞台をずっと都心部に近い国立に移し、もう1人の主人公である桜川衛と祥子の11年ぶりの再会、という本筋に関わるエッセンスだけを残す形で、該当部分を大幅に書き改めた。

 まさに身を削る思いだった。自分がひとたび、文字を使って造形し、彫琢し、築き上げた世界を、ほぼ丸ごと葬り去る——そのことがこれほどつらいとは、想像したこともなかった。でもそれをしなければ、作品を刊行すること自体が危うくなるような状況だったのだ。すでに名が売れていて定評もある作家でもないかぎり、上・下巻にわたるような長い作品を出版できる望みなどほとんどないのだから。

 思えば、作品を起稿する前の段階で、ときにはA4で15ページにも及ぶ長く詳細で綿密なプロットをきっちりと組み上げておくようになったのは、このときの苦い思い出がきっかけだったのではないかと思う。

 あらかじめプロットを高い精度で明瞭に定め、編集者とのコンセンサスも取っておき、それに従って本稿を書き進めているかぎり、作品のサイズ自体が見込みと変わってしまうような逸脱など、執筆途上で起こりようはずもない。そして何度か長編小説を書いた経験があれば、最終的に「400枚〜500枚程度」の作品に仕上げるには、これくらいのプロットでちょうどいいはずだ、という加減もわかってくる。

 それが、ある時期以降の僕の基本姿勢になった。僕はもう二度と、『冥王星パーティ』のときに味わったような断腸の思いをくりかえしたくなかったのだ。

 ともあれ、こうして300枚近くのダウンサイジングを経てできあがったのが、『冥王星パーティ』という作品だったわけだ。担当編集者も、「よくこんなに上手に直しましたね」と感心してくれていたし、自分でも、これだけ根本的なスキームの変更をしていながら、それなりのオチがつくもっともらしい物語に仕上がっていることを自画自賛したりもした。

 しかし、やはりそれは、本来なら考えられないほどの規模の大手術にはちがいなかった。右腕と左足を根元から切断し、いくつかの臓器を摘出したというのにも近いレベルの改変だったのだ。その痕跡を、あとかたもなく消すことなどできようはずもなかった。

 改稿しているさなかの僕には当然、「切断面」がどこにあるのか、逐一わかっていた。本来はその間に、30枚にも及ぶ重要な場面があった、ということを知っていた。それだけに、切断した部分が目立たないようにと、僕は前後を見定めながらその部分を周到に鞣し、ヤスリをかけて突起を滑らかにしていった。

 でもそれにも限界がある。今見ると、「ああ、ここにザックリと傷跡が残っている。前後に“段差”がある」「ここのつながりがなんだか唐突で不自然になっている」と気になってしまってしかたのない箇所がいくつも目につく。そういうのは、スマートではない。今の僕なら、許しがたく思うほどの瑕疵だ。

 この作品が文庫化され、『あの日の僕らにさよなら』とタイトルを変えたことがきっかけで万単位の人の手に届き、中には好意的な感想を寄せてくれる人が出てきてくれたことは、もちろん嬉しかった。でも僕はその一方で、こうも思っていたのだ。

 「僕の唯一売れた本が、どうしてよりによって、こんな欠点だらけの作品でなければならなかったのか」と。「もしもそれがこの本ではなく、その後に書いた、もっと完成度が高く、洗練されていて、今の僕が読み返しても納得できるようなクオリティの作品であったとしたら、その後の流れも変わっていたのではないか」と。「その作品で僕を知った人が、もっとたくさん、その後も僕の本を読もうと思ってくれていたのではないか」と。

 でもそれは、そもそもありえない仮定なのだ。なぜなら、僕自身がその作品をどう評価していようと、『あの日の僕らにさよなら』を超えるレベルで売れた本などひとつもなかったのだから。

 と言いながら、一方で僕は思っている。『あの日の僕らにさよなら』が例外的に売れたのは、単なる偶然にすぎない。いろいろな条件がたまたまうまい具合に重なって、ヒットにつながっただけなのだ。あの本が売れたのは、あれが僕の二十数作に及ぶ小説作品の中でとりわけすぐれていたからでもなんでもなく、たまたましかるべきタイミングでしかるべき位置にあの作品があったからにすぎないのだ、と。

 16年にわたって、二十数作も本を出してきていれば、それくらいのことはわかる。それはとてもやりきれないし納得できないことでもあるが、僕はそれに対してなんらなすすべがないのだ。

 いずれにしても、twitterのプロフィール欄にあるあの一文にこめられた真意は、ことほどさように入り組んだ複雑な心情に基づくものなのだということだけは、これでわかってもらえるのではないかと思う。

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