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2020年2月 7日 (金)

『あの日の僕らにさよなら』をめぐる複雑でめんどうくさい思い

 僕は現在、twitterのプロフィール欄に、「代表作は『あの日の僕らにさよなら』と書かざるをえないのが本人としてはなんとも不本意」との一文を添えている。気にしている人などほとんどいないだろうが、その一文の真意に当たるものを、ここで述べておこうと思う。あの本に惹かれて僕の存在を知った人がくだんの一文を見たら、落胆したり怪訝に思ったりするかもしれないからだ。

 『あの日の僕らにさよなら』は、僕にとって4作目の長編小説だ。単行本として刊行された2007年当時は、『冥王星パーティ』というタイトルだった。それはまったく売れなかったのだが、2012年の暮れ、文庫化に当たって現タイトルに改題されてから、風向きが変わった。

 しばらくするとどうした拍子かじわじわと売れはじめ、本格的に火がついてからは毎週のように重版の連絡が入り、最終的には10万部を超えるヒットになった。それでもいわゆるベストセラーに比べればささやかな数だが、ほとんどの本が初版止まりである僕にとっては、未曾有の売れ行きだったといっていい。

 それ以外に、僕の本で「売れた」といえる作品は、ほぼない。映画化もされた『忘れないと誓ったぼくがいた』は若干売れたが、それもあくまで「若干」レベルだ。だから僕は、自分の代表作としては、好むと好まざるとにかかわらず、『あの日の僕らにさよなら』の書名を挙げないわけにはいかないのだ。

 それをどうして「不本意」とあえて明記するのかというと、著者本人としては、売れたかどうかにかかわらず、あれよりずっとすぐれた作品がその後ほかにいくらでも書かれているではないか、という思いを否定できないからだ。

 もちろん、『あの日の僕らにさよなら』——というより、『冥王星パーティ』という作品に対する思い入れは、僕自身にもそれなりにある。

 定義不能な怪作である『ラス・マンチャス通信』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞することで作家デビューを果たした僕は、その後の作家としての路線をどう引いていくのかという問題にしょっぱなから対峙させられ(というのは、デビュー作のままの路線では、カルト的な人気を博す可能性こそあれ、一般的にはまったく注目されないであろうことが自明だったから)、続く2作では迷走の限りを尽くしている。

 『忘れないと誓ったぼくがいた』は、当時流行っていた「セカチュー」や「いまあい」などの純愛路線を露骨に意識したものだったし、3作目の『シュガーな俺』に至っては、自らの糖尿病体験をベースにした半自叙伝的な内容、とまるで一貫性がなかった。デビュー作から続くこの3作で、僕の統一された作家像を形成するのは困難だっただろう(なぜそのタイミングでそういう作品を書いたのかには、それぞれそれなりの必然性があったにしても)。

 『冥王星パーティ』は、そうした迷走にいったん区切りをつけ、「この路線で行きます」という意思表示を果たすべく書いた、当時としては会心の作だった。僕個人としては、一種の仕切り直しというか、「再デビュー」に臨むくらいの気構えだったのだ。

 日本ファンタジーノベル大賞でデビューした僕だが、僕がそれでデビューしたことは単なる偶然にすぎず、僕自身は自分のことを「ファンタジー小説作家」だなどとは最初からかけらも思っていなかった(「ファンタジー小説」なんてものは存在しない。小説そのものが、必然的にもともと一種のファンタジーなのだ)。デビューによってついてしまった色を、僕は『冥王星パーティ』でいったんリセットしたかったのである。

 しかし、気負いすぎたせいか、僕は執筆途上で致命的な失敗をやらかした。

 当初、4百字詰め原稿用紙換算で「400枚程度」(標準的な1冊に当たる分量)にすると銘打って書きはじめたところ、書いている間に乗りに乗ってしまい、気持ちの赴くままに書き進めていったら、第1稿はなんと800枚ほどの大部の作品になってしまったのだ。それでもなんとかなるだろうとタカをくくっていた僕は、当時の新潮社の担当編集者からのひとことに言葉を失った。

「おもしろかったです。でも、長すぎます。300枚程度減らしてください」

 800枚のうちの300枚といえば、半分にも迫る分量だ。それを削れというのか――。しばらくは原稿を読みかえす気にすらなれずに放置していたが、それではなんの解決にもならない。やがて僕は肚を決めて、言われたとおりのダウンサイジングを図るべく、原稿に再び向き合った。

 当然、設定の一部も根本的なレベルで改めざるをえなかったし、その過程で、存在自体を消された重要キャラクターが何人も発生した。

 『冥王星パーティ』というタイトルは、主人公の1人である都築祥子が、物語の終盤、国立市のアパートで人目を憚るようにひっそりと一人暮らししながら、「ここにいると、まるで一人で冥王星(=この世の果て)にでもいるみたいな気持ちになる」という意味のひとことを漏らすところから来ている。

 でも本来、このタイミングで祥子が住んでいるのは、国立市ではなく、奥多摩のはずだった。奥多摩駅から車でさらに何十分も山のほうへ向かった先にある、人里離れた豪邸で、年老いた富豪の身のまわりの世話をする介助人のような立場で雇われ、俗世とはほとんどの交流を絶っているという設定だったのだ。だからこそ、そこが「冥王星みたい」という祥子のつぶやきも当を得ていたのである。

 でも結果として僕は、その「奥多摩パート」を丸々削除し、そこに登場していた人物を何人も消去した。そして舞台をずっと都心部に近い国立に移し、もう1人の主人公である桜川衛と祥子の11年ぶりの再会、という本筋に関わるエッセンスだけを残す形で、該当部分を大幅に書き改めた。

 まさに身を削る思いだった。自分がひとたび、文字を使って造形し、彫琢し、築き上げた世界を、ほぼ丸ごと葬り去る——そのことがこれほどつらいとは、想像したこともなかった。でもそれをしなければ、作品を刊行すること自体が危うくなるような状況だったのだ。すでに名が売れていて定評もある作家でもないかぎり、上・下巻にわたるような長い作品を出版できる望みなどほとんどないのだから。

 思えば、作品を起稿する前の段階で、ときにはA4で15ページにも及ぶ長く詳細で綿密なプロットをきっちりと組み上げておくようになったのは、このときの苦い思い出がきっかけだったのではないかと思う。

 あらかじめプロットを高い精度で明瞭に定め、編集者とのコンセンサスも取っておき、それに従って本稿を書き進めているかぎり、作品のサイズ自体が見込みと変わってしまうような逸脱など、執筆途上で起こりようはずもない。そして何度か長編小説を書いた経験があれば、最終的に「400枚〜500枚程度」の作品に仕上げるには、これくらいのプロットでちょうどいいはずだ、という加減もわかってくる。

 それが、ある時期以降の僕の基本姿勢になった。僕はもう二度と、『冥王星パーティ』のときに味わったような断腸の思いをくりかえしたくなかったのだ。

 ともあれ、こうして300枚近くのダウンサイジングを経てできあがったのが、『冥王星パーティ』という作品だったわけだ。担当編集者も、「よくこんなに上手に直しましたね」と感心してくれていたし、自分でも、これだけ根本的なスキームの変更をしていながら、それなりのオチがつくもっともらしい物語に仕上がっていることを自画自賛したりもした。

 しかし、やはりそれは、本来なら考えられないほどの規模の大手術にはちがいなかった。右腕と左足を根元から切断し、いくつかの臓器を摘出したというのにも近いレベルの改変だったのだ。その痕跡を、あとかたもなく消すことなどできようはずもなかった。

 改稿しているさなかの僕には当然、「切断面」がどこにあるのか、逐一わかっていた。本来はその間に、30枚にも及ぶ重要な場面があった、ということを知っていた。それだけに、切断した部分が目立たないようにと、僕は前後を見定めながらその部分を周到に鞣し、ヤスリをかけて突起を滑らかにしていった。

 でもそれにも限界がある。今見ると、「ああ、ここにザックリと傷跡が残っている。前後に“段差”がある」「ここのつながりがなんだか唐突で不自然になっている」と気になってしまってしかたのない箇所がいくつも目につく。そういうのは、スマートではない。今の僕なら、許しがたく思うほどの瑕疵だ。

 この作品が文庫化され、『あの日の僕らにさよなら』とタイトルを変えたことがきっかけで万単位の人の手に届き、中には好意的な感想を寄せてくれる人が出てきてくれたことは、もちろん嬉しかった。でも僕はその一方で、こうも思っていたのだ。

 「僕の唯一売れた本が、どうしてよりによって、こんな欠点だらけの作品でなければならなかったのか」と。「もしもそれがこの本ではなく、その後に書いた、もっと完成度が高く、洗練されていて、今の僕が読み返しても納得できるようなクオリティの作品であったとしたら、その後の流れも変わっていたのではないか」と。「その作品で僕を知った人が、もっとたくさん、その後も僕の本を読もうと思ってくれていたのではないか」と。

 でもそれは、そもそもありえない仮定なのだ。なぜなら、僕自身がその作品をどう評価していようと、『あの日の僕らにさよなら』を超えるレベルで売れた本などひとつもなかったのだから。

 と言いながら、一方で僕は思っている。『あの日の僕らにさよなら』が例外的に売れたのは、単なる偶然にすぎない。いろいろな条件がたまたまうまい具合に重なって、ヒットにつながっただけなのだ。あの本が売れたのは、あれが僕の二十数作に及ぶ小説作品の中でとりわけすぐれていたからでもなんでもなく、たまたましかるべきタイミングでしかるべき位置にあの作品があったからにすぎないのだ、と。

 16年にわたって、二十数作も本を出してきていれば、それくらいのことはわかる。それはとてもやりきれないし納得できないことでもあるが、僕はそれに対してなんらなすすべがないのだ。

 いずれにしても、twitterのプロフィール欄にあるあの一文にこめられた真意は、ことほどさように入り組んだ複雑な心情に基づくものなのだということだけは、これでわかってもらえるのではないかと思う。

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