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2020年12月29日 (火)

クーをめぐるさらなる顛末(5)

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 その頃には、クーが自分からは食べようとしない状態が続いていることも考慮して、主治医はクーに投与する抗がん剤を消化器毒性の比較的弱いタイプのものに切り替えてくれていた。しかもその薬剤は、毎週ではなく、3週間に一度打てば薬効が持続するような効き方をするものだった。しかしクーは、主治医にいわせれば「薬が効きすぎるほど効く」体質であり、3週間おいても骨髄毒性の影響が抜けず、貧血ぎみだったり白血球が少ないままだったりするので、さらに1週間、2週間と次の薬剤を投与せずに様子を見るような状態が続いていた。

 クーが食欲を取り戻した背景には、そういう形で消化器毒性の影響が極小に近づいていたこともあるのだろうと思う。実際、主治医は、9月の終わりには、抗がん剤投与は中断したまま、月に1度くらいの経過観察で見守るという方針に転じ、結局それきり二度と抗がん剤は打たなかった。投与せずにいても、病変が再発する気配がまったく見られなかったからだ。そこで抗がん剤を打っても、いたずらに副作用ばかりを煽るという本末転倒な状態になってしまう。

 猫に抗がん剤治療を施す期間は、基本的には半年を目安にしていると最初に聞いていた。しかし、そもそもなぜ半年なのかというと、抗がん剤治療を施した猫の平均寿命が半年くらいであるため、まずは半年生かすことを目指そうという考えからそう決められているのだという。

 ただし、ここでいう「平均寿命」は、あくまで「平均」である。現実には、抗がん剤の効きがいい猫とそうでない猫との間の個体差が大きく、効きが悪い猫は抗がん剤を打ってもすぐに病変が再発してしまい、2ヶ月ももたない場合がある一方、効きがいい猫なら、1、2ヶ月の間投与しただけで、その後まったく再発せず、なお数年の間すこやかに生き延びる場合もあるのだそうだ。「半年」というのは、それらすべてをひっくるめて算出した平均値にすぎない。

 クーは非常に抗がん剤の効きがよく、これまでの経過を見ても、「長生きするほうのグループ」に入っている感触がある、と主治医は言っていた。この寿命の話のカラクリを聞いたのは、最初の診断からだいぶ経ってからのことなのだが、最初の時点では、クーが抗がん剤にどう反応するかもまだ読めないので、予断を与えないようにあえてそこまでは言わなかったのだろうと思う。

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 ともあれ、こうしてクーの状態は、着々といい方向に向かっていった。次第に自分の意思で十分な量のフードを食べるようになり、排便も規則的になっていた。そして10月中旬を最後に、チューブ経由の注入給餌はまったく必要でなくなった。

 それでも、病変が再発したらまた抗がん剤を打たなければならず、そうするとまた食べなくなってしまうというシナリオもありうるので、チューブはつけたままにしておく必要があった。チューブは脇腹に空けた穴にただ通してあるだけなので、胃の内容物がどうしても少しずつじくじくと染み出してしまう。1日でも放っておくと、チューブの差し込み口の周辺がカピカピになっていたりする。毎日、そこを清拭するメンテの作業も必要だった。

 染み出して乾いた胃の内容物が、毛とからみあったまま固まっているので、そう簡単には取れない。赤ちゃん用の濡れコットンなどで丹念に何度もこすったりしているうちにふやけてくるので、ある時点でそっとつまんで、からまった毛ごと除去するのだ。毛が抜けて痛いのではないかとか、差し込み口周辺に触れられて不快なのではないかと気を揉んでいたのだが、この作業をしている間、クーはむしろ「極楽」とでもいわんばかりの寛いだポーズで始終喉をゴロゴロいわせていた。

 もっともそれは、この作業と併せて、普段ボディスーツに覆われていてクーが自分では毛づくろいできずにいるエリアを指でガシガシとこすって抜け毛を取ってやるという世話もしており、それが文句なく気持ちいいばかりに、この一連の作業全体を「気持ちがいいアレ」とクーが認識していたためだったのかもしれない。

 それより問題は、注入給餌が完全に不要になるタイミングがあまりにも突然訪れてしまったことにあった。

 注入していた「i/d 消化ケア」は、Amazonでは25缶入りのケースでしか買えず、それでも最後の1箱を注文した時点ではまだ当分必要だろうという見立てだったので躊躇もなかったのだが、実際には、その新しいケースを開けて1缶だけ使った時点で、残りがそっくり不要になってしまった(この療法食はもともと普通にエサとして与えることを想定したものなのだが、クーはフードを選り好みするので、これをただエサ皿に盛ってもいっさい食べない。あくまで注入の際に便利だから使っていただけだった)。

 その後も月に1度程度の頻度で東大では経過観察をしていたのだが、毎回、再発所見もなかった。それはつまり、今後、抗がん剤が再び必要になることもなく、その副作用で再び自分からは食べなくなってしまう可能性もなくなるということを意味していた。もうチューブはいらないだろうということで、12月9日にチューブを抜去してもらい、チューブが抜けたあとの穴は一応縫合したのだが、2週間後、クリスマスイブの前日にその糸も取れた。

 主治医からは、「これでクーちゃんは、こちら(東大)からは2度目の卒業です」と言われた。東大を2度も卒業したとはすごい話だが、僕にとってはまたとないクリスマスプレゼントになった。

 今後は地元のクリニックで定期的に血液検査と超音波検査を行ない、再発がないかどうかをモニターしていくことになる。もちろん、再発の可能性もゼロではないが、さしあたっての脅威はなりをひそめてくれた。今はその喜ばしさを全身で噛みしめていたい。

 足かけ半年にも及ぶ、長くつらい看病・介護生活だった。コロナが猛威を振るう炎暑の中、毎週東大のキャンパス内までキャリーケースを片手に通ったこと、いっときはもうだめだとこうべを垂れていたこと、チューブ経由の給餌でいろいろ苦労したことなどが脳裏をよぎるが、すべては報われたのだ。検査のための待機時間にちょくちょく使っていたため、すっかり常連になってしまっていた東大正門前の純喫茶。あの店にもう行けなくなるのはさびしいようだが、今はむしろ、再び入店する機会が訪れないことを祈るべきなのだろう。

 8月から4ヶ月近くの間、クーは黄色いボディスーツを常に身につけたままだった。それが取れたすっぽんぽんの姿を今目にしていると、「こんなに黒っぽい猫だったっけ」と不思議な気持ちになる。ただ、猫には常に「現在」しかない。この半年のことを振りかえってしみじみと感慨に浸ることなどクーにはありえないだろう。クーはただ、今現在のすこやかさに満たされ、機嫌よくのんびりと過ごしているだけだ。

 それでいいのだ。僕が施した献身的な介助に感謝などしてくれなくていい。ただ快適に過ごし、よく食べ、ときには僕を追いかけっこに誘ってはタカタカと元気に走りまわっていてくれさえすれば、そして遊びに疲れたら陽だまりでしあわせそうに丸くなって眠っていてくれさえすれば、それが何よりのお返しとなるのだから。

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〈終わり〉

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2020年12月28日 (月)

クーをめぐるさらなる顛末(4)

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 こうして注入給餌の「適切な方法」を見出したことは、僕の辛抱づよい試行錯誤の勝利だったと思う。しまいにはクーは、この注入に対して、驚くほど協力的にさえなっていった。注入するには、まずクーの体を覆っているボディスーツの背中側の合わせ目からマジックテープを剥がし、丸めて収めてあるチューブを取り出す必要があるのだが、僕がそれをしようとしただけで、自らペタリとおなかを床にくっつけて這いつくばる姿勢を取り、そのままじっとしているようになったのだ。

 注入には、なんだかんだで正味15分ほどはかかるのだが、その間、クーは身じろぎもせずにいる。そしてひととおり済んで僕がマジックテープを合わせてスーツを着せなおしても、まだじっとしている。いつ終わったのかが、クーにはわからないらしいのだ。だから僕は、「ほら、終わったよ」と言いながら、おなかの下に手を差し入れて立たせてやる。そうするとようやく、「やれやれ」とでも言わんばかりにひとつ悠々と伸びをしてから、おもむろに歩み去るのである。

 なんならクーは、むしろこういう形で給餌されることを、喜んですらいるのではないかと思われる節があった。その体勢になっている間、のんきにあくびをしたり、ゴロゴロと喉を鳴らしていることもあったからだ。注入されること自体を気持ちがいいと思っているわけではないにしても、なんとなく僕に「世話をされている感」があり、それは喜ばしいと感じているのではないか。実際、主治医にこのことを話してみると、「たしかに、お父さん・お母さん(主治医は飼い主のことをそう呼んでいる)にそうされるのを喜ぶ猫も稀にいるみたいですね」と笑いながら言っていた。

 ただし、この注入給餌は、とにかく手間がかかった。一度に注入する量が多すぎると胃に負担がかかる可能性があるので、給餌は日に3度くらいに分けたほうがいいと言われてからはそうしていたのだが、「i/d消化ケア」に水を加えてフードプロセッサーで粉砕し、粉薬を水に溶いて、それぞれをシリンジに充填して準備を整えてから、クーへの注入を行ない、使用したフードプロセッサーやシリンジなどを洗う、という一連の作業には、どうしても40分はかかる。それを1日に3回ということはつまり、クーに給餌・投薬するためだけに、1日に2時間は無条件に取られるということを意味する。

 それに、給餌に必要な「i/d 消化ケア」やシリンジを、いつでも必要な分だけ確保しておくことは、思いのほかむずかしかった。

 シリンジはその都度洗って何度も使用するのだが(本体には”SINGLE USE ONLY”、すなわち「使用は1回限り」と明記されているのだが、東大ですら、その言いつけを愚直に守ってはいないものと思われる。東大から最初に手渡されたシリンジからして、犬かなにかがかじったあとのついた、「使用感」のあるものだったからだ)、何度も使っているとゴムの部分の摩擦がきつくなり、使用に耐えなくなる。「i/d 消化ケア」も、クーの体重から割り出すかぎり、1日に1.5缶は必要だった。

 僕はこれらの消耗品をAmazonで購入していたのだが、そうそう需要のあるものでもないらしく、一時的に品切れになっていたりする。そんなときは、地元クリニックにわけを話して、備蓄分を分けてもらったり、場合によっては医療関係のルートを使って取り寄せてもらったりしていた。それも含めて、クーに滞りなく必要な栄養分を与えるための手配や世話に、僕は日々追われていたのである。

 もちろん、それでもクーが元気でいられるなら、それに越したことはない。事実クーは、本来の病変部は早々におさまってしまっていた一方、注入給餌によって必要な栄養分は十分に与えられていたため、見た目はすっかり元気になっていた。残る問題は、再び自分の意思で飲み食いをしてくれるようになるかどうか、その一点に集約されていた。

 一時は、仮に抗がん剤治療が終わったとしても、このままクーが自分の意思では飲み食いをしない状態が続いたとしたらどうすればいいのか、と気を揉んでいたのだが、8月も下旬に至る頃、転機は突如として訪れた。もしかしたら食べてくれるかもしれない、というかすかな期待のもとに毎日エサ皿に盛っては、結局いっさい口をつけられないまま湿気させてしまってただ廃棄していたドライフードに、クーがある日突然、口をつけたのである。

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 もっとも最初は、本当に食べているのかどうかはかなり怪しかった。口をつけているのはたしかでも、その後はなんだか口をくちゃくちゃさせているだけで、咀嚼音が聞こえてこない。エサ皿を見ても、ただ単にフードの一部を舌で皿の外に押し出しているだけのようでもあった。自分の意思で食べるということを長いことしていなかった間に(6月の下旬以来、このときまで、クーは丸々2ヶ月にわたって、自分の意思では食べ物にいっさい口をつけていない)、食べ方というものを忘れてしまっているようにも見えた。

 しかし何日かしたら、ドライフードをかじる「カリッ、カリッ」という音――久しく聞いていなかったたしかな咀嚼音がそれに伴うようになり、エサ皿の中もたしかに着々と減っていることが確認できるようになった。涙が出るほど嬉しかった。飼っている猫がただをエサを食べているというそのことが、これほど嬉しいとは……。

 それでもその頃はまだ、「たまに気が向くと」という程度の頻度だったのだが、そうして自ら食べる量は日に日に増えていった。それからは、クーが自分の意思で食べた分を見極めつつ、1日に必要な栄養量として足りない分だけを注入給餌で補う、という形を取るようになった。

〈以下続く〉

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2020年12月27日 (日)

クーをめぐるさらなる顛末(3)

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 入院2日目、手術が終わったら連絡をもらえることになっていたが、東大の主治医から電話がかかってきたのは、見込んでいたよりだいぶ早い時間だった。しかも、声が暗い。その時点でいやな予感がしたのだが、主治医は案の定、「ちょっと問題が発生しまして……」と言う。

 おなかにチューブを取りつける処置は、内視鏡手術によって行なうことになっていた。内視鏡で胃の内部から体の外側に向けて穴を穿ち、そこにチューブを通すのである。それをするためには、まずは胃の内部に空気を送り込んで、膨らませる必要がある。その処置をしている渦中に、あろうことか「胃の内壁が裂けていく」ような現象が発生し、手術の中断を余儀なくされたというのだ。

 そういう症例は、いまだかつて見たことがなく、ほかの先生に訊いても原因がわからなかったという。無数の症例を積み上げた知見のある東大のレベルで思い当たらないのでは、お手上げだろう。めったに症例の見られない奇病である可能性もある。「どうしましょうか」と訊かれて、返答に窮してしまった。どうすればいいかなんて、素人の僕にわかるわけがない。

 しかしよくよく聞けば、さしあたっては胃の内壁の組織を保護する薬を投与するなどしてから、同じ手術を再試行することは可能だという。内視鏡手術は内科医でもできるもので(主治医は内科医)、今回も主治医自身が施術していた。そのさなかに不測の事態が発生してしまったため、それ以上対処することができず、手術も中断せざるをえなかったわけだが、外科医も立ち会った上で、いざとなれば開腹してしかるべく処置できるような態勢で臨めば問題ないはずだというのだ。だったら、その手はずでやってもらうしかない。

 外科医のスケジュールもあったため、クーにはそのまま、通算8日もの間、入院させることになってしまった。入院という形でそんなに長い間離れて過ごしたのは初めてのことで、毎日、家にクーがいない欠落感に悩まされてしまったのだが、外科医立ち会いのもとにおこなわれた2度目の施術では、結果として胃の内壁の裂け目は初回以上には広がらず、実際には外科医の手を借りるまでもなく成功したと聞かされた。

 クーの胃の内壁がそんな状態になっていた原因については、いまだにはっきりしたことはわからないままだ。「長期間、液状のフードしか与えていなかったために、胃の伸縮性が一時的に損なわれていたのかもしれない」というのが主治医の見立てだったが、胃の内部で生じていたその異変自体が、あるいはクーがしきりと気持ち悪がってよだれを垂らしつづけていた原因だったのかもしれない。

 ともあれ、8月上旬、今度は左脇腹からチューブを生やした状態で、クーは無事退院となった。チューブは長さが30cmほどあり、むき出しにしているとどこかに引っかけて抜けてしまう恐れがあるため、背中側に持ち上げてクルリと丸めた状態にした上で、ボディスーツを着せて固定しておく必要があった(下の画像参照。なお、背中の上に突き出ている白い器具は、胃からの逆流を防ぐためのストッパーのようなもの)。

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 それまでは首のチューブから注入していたクリティカルリキッドを、今後はおなかのチューブから注入することになる。変わったのはその点だけのはずだった。むしろチューブが太くなる分、注入は楽になるはずだという見通しもあった。ところがこれがまた、一筋縄ではいかなかった。

 それまで首や食道のあたりに感じていた違和感がなくなったのだから、もう気持ち悪そうにすることもなくなるだろうと踏んでいたのだが、事態はいくらも改善されていなかった。胃に直接通じるチューブを使っても、クーはやはり、注入しようとするだけでも気持ち悪そうに口をにちゃにちゃさせたり、注入直後に吐いてしまったりする。そして、注入後は長いこと、あいかわらずよだれを垂らしつづけたりする。

 これ以上どうしろというのか、といっときは打ちのめされたような気持ちになったのだが、注入前後のクーを注意深く観察しているうちに、僕はあることに気づいた。注入している間、クーはあきらめたように床に這いつくばる姿勢を取っているのだが、終わるとすっくと立ち上がる。そのとき、すぐには歩み去らずに、なにか考えるような間を空けている。それから恐る恐るという感じでまずは数歩だけ進み、また立ち止まって、考えをめぐらしているようなそぶりを見せる(場合によっては、そこで吐いてしまったりもする)。

 僕の目にはそれが、なんとなく、「おなかの中がタプンタプンになっていないかどうか」をたしかめている姿のように見えた。

 もしかしたらクーは、胃の中に液状のものが多量に溜まっている状態そのものが気持ち悪くて、だから注入の時間になり、ある特定の姿勢を取らされると、それだけで「またおなかの中がタプンタプンになるあれが始まる」と予期して、気持ち悪そうなそぶりを見せるのではないか。

 考えてみれば、無理もない話なのだ。一度に注入するクリティカルリキッドは100cc、それ以外に水に溶いた散薬も飲ませ、チューブの内部をきれいにするためにさらに真水を注入したりもしているので、最大でともすれば200cc近くもの液体が、小さな胃の中に一気に注ぎ込まれていることになる。人間に換算すれば、2リットルほどの水を強制的にイッキ飲みさせられているのにも等しい状態だ。それは気持ち悪くもなるだろう。

 そこで僕は、注入するフードを液状のものから固形のものに替えてみることにした。主治医の話では、おなかに取りつけるチューブなら比較的太いので、固形食でも注入できるということだった。しかし、実際にやってみると、思うようにはいかない。市販の猫缶などだと、フードプロセッサーで入念に粉砕したとしても、大きめの粒が残っていて、すぐに詰まってしまう。チューブの太さはたしかにそこそこあるのだが、口径の異なる複数の種類のシリンジに対応できるよう、注ぎ口が二又に分かれていて、そこだけ口径が狭くなっているためだ。

 いろいろ試してみて、実際に注入できる固形食は、ほぼペースト状のものだけだとわかった(「ゼリー」とか「テリーヌ」などと呼ばれているタイプのものなら注入可能なのだが、それらは嗜好品の扱いであり、日々の基本的な栄養補給に推奨されている「総合栄養食」ではない)。ただし、ペースト状の猫缶を、スーパーなどで売られている市販のものから見つけることはできなかった。地元のクリニックで強制給餌してもらった「i/d 消化ケア」という医療機関向けのフードならペースト状なので、Amazonでそれを探して取り寄せる形になった。

 また、それなら注入できるとはいっても、そのままシリンジに詰めると、実際にはかなりの力を込めないとチューブには入っていかない。そのペースト状のフードに少しだけ水を足し、フードプロセッサーでクリーム状になるまで撹拌してからシリンジに充填すれば、かなりスムーズに注入できることがわかった。一度に与えるフードの量が0.3缶なら水が9cc0.4缶なら12cc0.5缶なら15ccといった見当だ。あまり水を足しすぎると、液状のフードを注入しているのと同じことになってしまうから、加減がむずかしい。

 ともあれ、注入するフードをこれに切り替えてからは、事態は劇的に改善された。それでも最初のうちクーは、「注入の姿勢」を取らされるだけで懐疑的になり、口をにちゃにちゃさせたりしていたのだが、注入が済んで歩いてみたときに、「おなかの中が意外とタプンタプンになっていない」ことに、次第に気づいていったものと見える。注入後によだれを垂らしつづける時間がだんだん短くなり、そのうちよだれを垂らすこと自体がなくなり、ついには「注入の姿勢」を取らせても、気持ち悪そうにすること自体がなくなった。

〈以下続く〉

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2020年12月26日 (土)

クーをめぐるさらなる顛末(2)

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 ある晩、クーの様子が見るからにおかしくなった。呼吸が浅くなり、口からよだれを垂らしている。よだれを垂らすのは、通常、なにか受けつけられない味のするものを口に含んでしまった場合だが、このときのクーは、単に気持ちが悪くてそうなっているように見えた。

 しばらくすると落ち着いたのだが、次の日も、そのまた次の日も、クーは同じ状態になった。チューブから注入したあとは必ずそうなったし、注入からだいぶ時間が過ぎていても、夜になるときまってよだれを垂らしはじめ、何時間もそれが続くこともあった。吐き気止めを飲ませると幾分ましになるのだが、薬が効いた結果おさまっているのかどうかは確信が持てなかった。

 7月の終わりの、土曜日の晩のことは忘れられない。夜の8時ごろからよだれを垂らしはじめたクーが、何時間にもわたって、それまで聞いたこともないような悲痛な声で唸りつづけたのだ。呼吸も走ったあとの犬みたいに「ハッハッハッハッ」と浅く荒くなっており、目はうつろで、なだめようとして触れても煩わしそうに顔をそらしたり、僕の指に噛みついたりする。じゃれてそうしているのではなく、穴が開いて血が出るほどの強さで、本気で噛んでいた。

 このまま放っておいたらまちがいなく死んでしまう――そう確信した。一緒にその様子を見ていた妻も、同じように感じていた。しかし土曜日の夜なので、東大には宿直医すらいない。とにかくなんらかの手を打たなければと思って、救命救急も受けつけている近場の動物病院に電話してみた。

 現在こういう病気で東大にかかっており、東大ではこういう治療を受けていて、こういう段階である、ということも含め、クーの置かれている状況を可能なかぎり詳細に説明した。それだけの情報を伝えれば、クーに何が起きているのか、どんな手を打てば状態を改善できるのか、獣医には見当がつくものと思っていた。しかしその回答は、「連れてきていただいたとしても、皮下点滴くらいしかしてあげられることがない」というものだった。

 その病院になんとかしてもらうことは、その時点で断念した。皮下点滴とは、前回書いたように、水分を補給するための処置にすぎない。水分なら、チューブから与えることができているから現状で十分に足りているのだ。この状態のクーに皮下点滴を施したところで、それがなんの足しになるというのか。

 あとから冷静になって振りかえると、その病院は、もしかしたらクーが東大にかかっていると聞いたせいで、変に身構えてしまっていたのかもしれない。相手は獣医学の最高峰といわれる東大附属動物医療センターだ。そこにカルテもないまま変に介入して死なれでもしたら、責任の取りようもない。だから、なにかするとしても最小限の処置、すなわち、それによって直接的に死が引き起こされる心配のない皮下点滴に留めておきたいと考えたのではないか。

 ともあれ、僕たちにできることはもはや、見守ることしかなかった。この様子では、おそらく朝まではもたないだろうと思われた。僕も妻も、そういうつもりで覚悟を決めていた。

 抗がん剤治療を始めてから、ある時点まで、経過は順調だと思っていた。薬剤の効きはめざましく、本来の病変部分は驚くほど早く縮退し、その後もぶりかえしてはいないという報告を、東大に行くたびに受けていたからだ。それなのに、本来の問題であるリンパ腫とは関係のない部分で、クーが死んでしまうというのか。理不尽な思いでいっぱいだった。

 それでも、翌日も出勤予定だった妻はある段階でベッドに向かったのだが、僕は寝ずの番をするつもりでいた。祈るような思いで経過を見守っていたところ、さいわい、明け方になる頃には、クーはおおむね平静な状態に戻っていた。ひとまずは胸を撫でおろした。

 翌日曜日にも、注入後や夜などにクーはやはり似たような様子を示したのだが、土曜日の晩ほど切迫した状態には至らなかった。その間に、東大の宿直医を通じて、次回の予約を早めてもらい、月曜日には東大まで連れていって、精密検査をしてもらった。

 しかし、検査結果からは、そういう状態になる原因と思われるものが何も見つからなかったという。にわかには信じられなかった。素人考えでひとつ思いついたのは、クーがなんらかの炎症を起こしていたのではないかということだった。

 抗がん剤の骨髄毒性により、クーの白血球は目に見えて減少していた。おりしも、そのために次の抗がん剤投与を1週間見合わせていたさなかのことである。そして白血球が少ないということは、細菌などの外敵に対する防御力が弱まっているということだ。それでなんらかの感染症にかかっていたのだと考えれば、あの息の荒さも説明がつく。しかもクーには、感染防止のために抗生剤も飲ませていた。症状がおさまったのは、それが効いた結果だったのではないか。

 僕のその見解に対して、主治医は否定的だった。もしそうなら、一度おさまった症状が翌日もまたぶりかえすとは考えづらいというのだ。いずれにせよ、そうした異状が現れたときには、その渦中にあるときに採血するなりして検査しないと、確たることは何も言えない。やはり、首にチューブが刺さっていることが大きなストレスになっており、そのために一時的な興奮状態にあったのではないか、というのが主治医の見立てだった。

 そのさなかには、僕も妻も、「これは死ぬだろう」と確信して、覚悟も決めていたのだ。それほどまでに激烈な症状だったのだ。ストレスで興奮状態にあったくらいで、あんな状態になるだろうか。その点は今もって完全に腑に落ちてはいないのだが、とにかく、首のチューブはいったん外したほうがいいだろうという話になった。

 チューブを外すと、たしかにクーはよだれを垂らしたり気持ち悪そうにしたりすることはなくなった。しかし、やはり自分ではいっさい飲み食いをしようとしない。主治医によれば、「チューブを外した途端に食欲が回復する猫もいる」とのことだったが、その期待は裏切られた。何日かは強制給餌と皮下点滴でしのいだが、根本的な解決のためには次の手立てを講じる必要があった。

 といっても、選択肢はひとつしかなかった。すなわち、当初は大がかりすぎると思って避けていた、「胃に直接通じるチューブをおなかに取りつける」というものだ。この際、背に腹は代えられないので、クーを入院させ、全身麻酔の上で取りつけ手術をしてもらうことになった。

 ところが、ここでまたしても大きな危機が訪れるのである。

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〈以下続く〉

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2020年12月25日 (金)

クーをめぐるさらなる顛末(1)

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 去年、クーが肥満細胞腫に冒されたときの一部始終はかつてこのブログで詳細に語ったが、実は今年も、クーは大病を患っている。実のところ、今年の特に後半は、コロナどころかクーの治療および介護に明け暮れていたと言っても過言ではない。例によって、話に一段落がつくまでは報告も憚られ、気がついたらこんな年の瀬も押しつまる頃合いになってしまっていた。少々長いが、今回から5回に分けてその顛末を報告したい。

 最初の兆候が現れたのは4月ごろだった。基本的に快食快便のクーが、下痢気味になってきたのだ。それが何日も続くので、これはなにかあると思い、さしあたってはかかりつけの地元クリニックに相談した。しかし、整腸剤を投与してもなんら改善の兆しが見られなかった時点で、今回は早々に東大附属動物医療センターにつないでもらうことにした。

 去年の肥満細胞腫のときの反省に基づく対応だった。前回、当初問題になっていたのは頻繁な嘔吐であり、地元クリニックでは消化器系の不具合を疑っていたのだが、東大ではそれを即座に、脾臓で増殖していた肥満細胞腫のしわざであると看破したのである。今回も、「消化器系の不具合」という見立てで悠長に「様子を見て」いたら、その間にどんどん病状が進行してしまうのではないかと恐れたのだ。

 危惧は的中しており、東大での診断は、消化器の不具合とはなんの関係もない、悪性リンパ腫というものだった。リンパ管およびそれと接している大腸がリンパ腫の影響で肥厚しており、その結果として消化機能に不全が生じていたのである。その診断を受けたのは、新型コロナウイルスが蔓延し、外出も憚られるようになっていた6月上旬のことだった。

 司令塔となっている脾臓の摘出で済んだ肥満細胞腫と違って、今回の治療としては、抗がん剤しかありえなかった。副作用もあるが、半年ほど投薬して様子を見るしかないという。そして、もし抗がん剤治療をしなかったとしたら、このあとは「もって1、2ヶ月」と宣告された。選択の余地もなく抗がん剤治療を始めてもらい、以降は原則として週に1度、東大の弥生キャンパス(本郷キャンパスに隣接する、農学部が入っているキャンパス)に通う日々が始まった。

 しょっぱなから見舞われた大きな障害は、副作用だった。抗がん剤の副作用は大きく見て二つあり、ひとつは骨髄毒性、すなわち造血機能などにもたらされる障害であり、もうひとつは消化器毒性、すなわち嘔吐や下痢、便秘など、消化機能に関わる障害である。クーの場合、まずは消化器毒性が、食欲不振という形で現れた。

 いや、「不振」というレベルではない。自分の意志では飲み食いというものをいっさいしなくなってしまったのだ。2、3日程度なら食べなくても死にはしないが、水さえ飲もうとしないので、放置していたら命をつなげなくなってしまう。次に東大にかかるまでは、地元クリニックなどで皮下点滴(毛皮と肉の間の隙間に生理食塩水などを注入し、ゆっくりと体内に水分を吸収させる処置)や強制給餌(口の中にフードを強制的に押し込んで嚥下させる処置)で生きながらえさせるよりほかになかった。

 状況を伝えたら、東大からは3つの解決策を提示された。いずれも、チューブを経由して強制的に給餌もしくは給水することに関わるものだ。

 いちばん簡単なのは、鼻にチューブを取りつけるというもの。これは麻酔も必要としないが、チューブが細いため、水しか入れられず、フードについてはこれまでどおり、強制的に口の中に押し込む形でしか与えられないし、チューブ自体が外れやすい。次に簡単なのは、食道に通じるチューブを首に取りつけるというもの。局所麻酔だけで済み、水だけでなく、液状の栄養物なら注入することができる。

 最も本格的なのは、おなかに穴を開けて胃に直接通じるチューブを装着するというもの。チューブも太いから固形物も注入できるし、これがいちばん抜けにくいので安全でもあるが、そのかわり、全身麻酔が必要になり、そのために入院させなければならない。

 鼻のチューブは論外だと思った。鼻の穴に常時チューブが刺さったままというのは、どう考えても快適であるはずがないし、どのみち水しか入れられないのではほとんど意味がない。かといって、入院させてまで胃に直接通じるチューブをつけるのもどうかと思ったので、首に取りつけるチューブを選んだ。

 チューブから給餌・給水するには、「シリンジ」と呼ばれる注射器のような形の器具が必要になる。給餌については、これを使って、クリティカルリキッドという液状の栄養物をボトルから吸い出し、チューブの先端から注入するのである(下の画像参照)。クーの体重だと、このリキッドが1日に200ccは必要ということなので、100ccずつ2回に分けて注入した。

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 生命維持に必要な栄養と水分は、これで与えることができる。飲み薬が必要な場合も、散薬を水に溶かして注入すれば済むので、その意味ではかえって楽だった。その間にも、消化器毒性の作用でひどい便秘になり、浣腸が必要になったりする不具合はあったのだが、とにかく抗がん剤治療が終わるまではこうしてしのぐしかないのだと覚悟を決めていた。注入の間、クーは基本的にはおとなしくしており、特にいやがっている気配もないので、手間がかかるだけで大きな問題はないと思っていた。

 ところが、この注入を始めて1ヶ月ほどが過ぎると、クーは注入しているさなかや直後に吐いてしまうようになった。ときには、これから注入しようとセッティングして、クーを膝に乗せて首のカバーからチューブを引き出しただけで、えずきはじめることもあった。主治医の話では、チューブ自体が吐き気を催させることはないはずだが、なんらかの違和感があり、それが気分的に吐き気に結びついているのではないかということだった。

 それでもさしあたってその方法での給餌・給水を続けるよりほかになく、だましだましやり過ごしていた。最悪の事態が訪れたのは、そのときだった。

〈以下、続く〉

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