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2020年12月27日 (日)

クーをめぐるさらなる顛末(3)

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 入院2日目、手術が終わったら連絡をもらえることになっていたが、東大の主治医から電話がかかってきたのは、見込んでいたよりだいぶ早い時間だった。しかも、声が暗い。その時点でいやな予感がしたのだが、主治医は案の定、「ちょっと問題が発生しまして……」と言う。

 おなかにチューブを取りつける処置は、内視鏡手術によって行なうことになっていた。内視鏡で胃の内部から体の外側に向けて穴を穿ち、そこにチューブを通すのである。それをするためには、まずは胃の内部に空気を送り込んで、膨らませる必要がある。その処置をしている渦中に、あろうことか「胃の内壁が裂けていく」ような現象が発生し、手術の中断を余儀なくされたというのだ。

 そういう症例は、いまだかつて見たことがなく、ほかの先生に訊いても原因がわからなかったという。無数の症例を積み上げた知見のある東大のレベルで思い当たらないのでは、お手上げだろう。めったに症例の見られない奇病である可能性もある。「どうしましょうか」と訊かれて、返答に窮してしまった。どうすればいいかなんて、素人の僕にわかるわけがない。

 しかしよくよく聞けば、さしあたっては胃の内壁の組織を保護する薬を投与するなどしてから、同じ手術を再試行することは可能だという。内視鏡手術は内科医でもできるもので(主治医は内科医)、今回も主治医自身が施術していた。そのさなかに不測の事態が発生してしまったため、それ以上対処することができず、手術も中断せざるをえなかったわけだが、外科医も立ち会った上で、いざとなれば開腹してしかるべく処置できるような態勢で臨めば問題ないはずだというのだ。だったら、その手はずでやってもらうしかない。

 外科医のスケジュールもあったため、クーにはそのまま、通算8日もの間、入院させることになってしまった。入院という形でそんなに長い間離れて過ごしたのは初めてのことで、毎日、家にクーがいない欠落感に悩まされてしまったのだが、外科医立ち会いのもとにおこなわれた2度目の施術では、結果として胃の内壁の裂け目は初回以上には広がらず、実際には外科医の手を借りるまでもなく成功したと聞かされた。

 クーの胃の内壁がそんな状態になっていた原因については、いまだにはっきりしたことはわからないままだ。「長期間、液状のフードしか与えていなかったために、胃の伸縮性が一時的に損なわれていたのかもしれない」というのが主治医の見立てだったが、胃の内部で生じていたその異変自体が、あるいはクーがしきりと気持ち悪がってよだれを垂らしつづけていた原因だったのかもしれない。

 ともあれ、8月上旬、今度は左脇腹からチューブを生やした状態で、クーは無事退院となった。チューブは長さが30cmほどあり、むき出しにしているとどこかに引っかけて抜けてしまう恐れがあるため、背中側に持ち上げてクルリと丸めた状態にした上で、ボディスーツを着せて固定しておく必要があった(下の画像参照。なお、背中の上に突き出ている白い器具は、胃からの逆流を防ぐためのストッパーのようなもの)。

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 それまでは首のチューブから注入していたクリティカルリキッドを、今後はおなかのチューブから注入することになる。変わったのはその点だけのはずだった。むしろチューブが太くなる分、注入は楽になるはずだという見通しもあった。ところがこれがまた、一筋縄ではいかなかった。

 それまで首や食道のあたりに感じていた違和感がなくなったのだから、もう気持ち悪そうにすることもなくなるだろうと踏んでいたのだが、事態はいくらも改善されていなかった。胃に直接通じるチューブを使っても、クーはやはり、注入しようとするだけでも気持ち悪そうに口をにちゃにちゃさせたり、注入直後に吐いてしまったりする。そして、注入後は長いこと、あいかわらずよだれを垂らしつづけたりする。

 これ以上どうしろというのか、といっときは打ちのめされたような気持ちになったのだが、注入前後のクーを注意深く観察しているうちに、僕はあることに気づいた。注入している間、クーはあきらめたように床に這いつくばる姿勢を取っているのだが、終わるとすっくと立ち上がる。そのとき、すぐには歩み去らずに、なにか考えるような間を空けている。それから恐る恐るという感じでまずは数歩だけ進み、また立ち止まって、考えをめぐらしているようなそぶりを見せる(場合によっては、そこで吐いてしまったりもする)。

 僕の目にはそれが、なんとなく、「おなかの中がタプンタプンになっていないかどうか」をたしかめている姿のように見えた。

 もしかしたらクーは、胃の中に液状のものが多量に溜まっている状態そのものが気持ち悪くて、だから注入の時間になり、ある特定の姿勢を取らされると、それだけで「またおなかの中がタプンタプンになるあれが始まる」と予期して、気持ち悪そうなそぶりを見せるのではないか。

 考えてみれば、無理もない話なのだ。一度に注入するクリティカルリキッドは100cc、それ以外に水に溶いた散薬も飲ませ、チューブの内部をきれいにするためにさらに真水を注入したりもしているので、最大でともすれば200cc近くもの液体が、小さな胃の中に一気に注ぎ込まれていることになる。人間に換算すれば、2リットルほどの水を強制的にイッキ飲みさせられているのにも等しい状態だ。それは気持ち悪くもなるだろう。

 そこで僕は、注入するフードを液状のものから固形のものに替えてみることにした。主治医の話では、おなかに取りつけるチューブなら比較的太いので、固形食でも注入できるということだった。しかし、実際にやってみると、思うようにはいかない。市販の猫缶などだと、フードプロセッサーで入念に粉砕したとしても、大きめの粒が残っていて、すぐに詰まってしまう。チューブの太さはたしかにそこそこあるのだが、口径の異なる複数の種類のシリンジに対応できるよう、注ぎ口が二又に分かれていて、そこだけ口径が狭くなっているためだ。

 いろいろ試してみて、実際に注入できる固形食は、ほぼペースト状のものだけだとわかった(「ゼリー」とか「テリーヌ」などと呼ばれているタイプのものなら注入可能なのだが、それらは嗜好品の扱いであり、日々の基本的な栄養補給に推奨されている「総合栄養食」ではない)。ただし、ペースト状の猫缶を、スーパーなどで売られている市販のものから見つけることはできなかった。地元のクリニックで強制給餌してもらった「i/d 消化ケア」という医療機関向けのフードならペースト状なので、Amazonでそれを探して取り寄せる形になった。

 また、それなら注入できるとはいっても、そのままシリンジに詰めると、実際にはかなりの力を込めないとチューブには入っていかない。そのペースト状のフードに少しだけ水を足し、フードプロセッサーでクリーム状になるまで撹拌してからシリンジに充填すれば、かなりスムーズに注入できることがわかった。一度に与えるフードの量が0.3缶なら水が9cc0.4缶なら12cc0.5缶なら15ccといった見当だ。あまり水を足しすぎると、液状のフードを注入しているのと同じことになってしまうから、加減がむずかしい。

 ともあれ、注入するフードをこれに切り替えてからは、事態は劇的に改善された。それでも最初のうちクーは、「注入の姿勢」を取らされるだけで懐疑的になり、口をにちゃにちゃさせたりしていたのだが、注入が済んで歩いてみたときに、「おなかの中が意外とタプンタプンになっていない」ことに、次第に気づいていったものと見える。注入後によだれを垂らしつづける時間がだんだん短くなり、そのうちよだれを垂らすこと自体がなくなり、ついには「注入の姿勢」を取らせても、気持ち悪そうにすること自体がなくなった。

〈以下続く〉

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