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2020年12月29日 (火)

クーをめぐるさらなる顛末(5)

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 その頃には、クーが自分からは食べようとしない状態が続いていることも考慮して、主治医はクーに投与する抗がん剤を消化器毒性の比較的弱いタイプのものに切り替えてくれていた。しかもその薬剤は、毎週ではなく、3週間に一度打てば薬効が持続するような効き方をするものだった。しかしクーは、主治医にいわせれば「薬が効きすぎるほど効く」体質であり、3週間おいても骨髄毒性の影響が抜けず、貧血ぎみだったり白血球が少ないままだったりするので、さらに1週間、2週間と次の薬剤を投与せずに様子を見るような状態が続いていた。

 クーが食欲を取り戻した背景には、そういう形で消化器毒性の影響が極小に近づいていたこともあるのだろうと思う。実際、主治医は、9月の終わりには、抗がん剤投与は中断したまま、月に1度くらいの経過観察で見守るという方針に転じ、結局それきり二度と抗がん剤は打たなかった。投与せずにいても、病変が再発する気配がまったく見られなかったからだ。そこで抗がん剤を打っても、いたずらに副作用ばかりを煽るという本末転倒な状態になってしまう。

 猫に抗がん剤治療を施す期間は、基本的には半年を目安にしていると最初に聞いていた。しかし、そもそもなぜ半年なのかというと、抗がん剤治療を施した猫の平均寿命が半年くらいであるため、まずは半年生かすことを目指そうという考えからそう決められているのだという。

 ただし、ここでいう「平均寿命」は、あくまで「平均」である。現実には、抗がん剤の効きがいい猫とそうでない猫との間の個体差が大きく、効きが悪い猫は抗がん剤を打ってもすぐに病変が再発してしまい、2ヶ月ももたない場合がある一方、効きがいい猫なら、1、2ヶ月の間投与しただけで、その後まったく再発せず、なお数年の間すこやかに生き延びる場合もあるのだそうだ。「半年」というのは、それらすべてをひっくるめて算出した平均値にすぎない。

 クーは非常に抗がん剤の効きがよく、これまでの経過を見ても、「長生きするほうのグループ」に入っている感触がある、と主治医は言っていた。この寿命の話のカラクリを聞いたのは、最初の診断からだいぶ経ってからのことなのだが、最初の時点では、クーが抗がん剤にどう反応するかもまだ読めないので、予断を与えないようにあえてそこまでは言わなかったのだろうと思う。

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 ともあれ、こうしてクーの状態は、着々といい方向に向かっていった。次第に自分の意思で十分な量のフードを食べるようになり、排便も規則的になっていた。そして10月中旬を最後に、チューブ経由の注入給餌はまったく必要でなくなった。

 それでも、病変が再発したらまた抗がん剤を打たなければならず、そうするとまた食べなくなってしまうというシナリオもありうるので、チューブはつけたままにしておく必要があった。チューブは脇腹に空けた穴にただ通してあるだけなので、胃の内容物がどうしても少しずつじくじくと染み出してしまう。1日でも放っておくと、チューブの差し込み口の周辺がカピカピになっていたりする。毎日、そこを清拭するメンテの作業も必要だった。

 染み出して乾いた胃の内容物が、毛とからみあったまま固まっているので、そう簡単には取れない。赤ちゃん用の濡れコットンなどで丹念に何度もこすったりしているうちにふやけてくるので、ある時点でそっとつまんで、からまった毛ごと除去するのだ。毛が抜けて痛いのではないかとか、差し込み口周辺に触れられて不快なのではないかと気を揉んでいたのだが、この作業をしている間、クーはむしろ「極楽」とでもいわんばかりの寛いだポーズで始終喉をゴロゴロいわせていた。

 もっともそれは、この作業と併せて、普段ボディスーツに覆われていてクーが自分では毛づくろいできずにいるエリアを指でガシガシとこすって抜け毛を取ってやるという世話もしており、それが文句なく気持ちいいばかりに、この一連の作業全体を「気持ちがいいアレ」とクーが認識していたためだったのかもしれない。

 それより問題は、注入給餌が完全に不要になるタイミングがあまりにも突然訪れてしまったことにあった。

 注入していた「i/d 消化ケア」は、Amazonでは25缶入りのケースでしか買えず、それでも最後の1箱を注文した時点ではまだ当分必要だろうという見立てだったので躊躇もなかったのだが、実際には、その新しいケースを開けて1缶だけ使った時点で、残りがそっくり不要になってしまった(この療法食はもともと普通にエサとして与えることを想定したものなのだが、クーはフードを選り好みするので、これをただエサ皿に盛ってもいっさい食べない。あくまで注入の際に便利だから使っていただけだった)。

 その後も月に1度程度の頻度で東大では経過観察をしていたのだが、毎回、再発所見もなかった。それはつまり、今後、抗がん剤が再び必要になることもなく、その副作用で再び自分からは食べなくなってしまう可能性もなくなるということを意味していた。もうチューブはいらないだろうということで、12月9日にチューブを抜去してもらい、チューブが抜けたあとの穴は一応縫合したのだが、2週間後、クリスマスイブの前日にその糸も取れた。

 主治医からは、「これでクーちゃんは、こちら(東大)からは2度目の卒業です」と言われた。東大を2度も卒業したとはすごい話だが、僕にとってはまたとないクリスマスプレゼントになった。

 今後は地元のクリニックで定期的に血液検査と超音波検査を行ない、再発がないかどうかをモニターしていくことになる。もちろん、再発の可能性もゼロではないが、さしあたっての脅威はなりをひそめてくれた。今はその喜ばしさを全身で噛みしめていたい。

 足かけ半年にも及ぶ、長くつらい看病・介護生活だった。コロナが猛威を振るう炎暑の中、毎週東大のキャンパス内までキャリーケースを片手に通ったこと、いっときはもうだめだとこうべを垂れていたこと、チューブ経由の給餌でいろいろ苦労したことなどが脳裏をよぎるが、すべては報われたのだ。検査のための待機時間にちょくちょく使っていたため、すっかり常連になってしまっていた東大正門前の純喫茶。あの店にもう行けなくなるのはさびしいようだが、今はむしろ、再び入店する機会が訪れないことを祈るべきなのだろう。

 8月から4ヶ月近くの間、クーは黄色いボディスーツを常に身につけたままだった。それが取れたすっぽんぽんの姿を今目にしていると、「こんなに黒っぽい猫だったっけ」と不思議な気持ちになる。ただ、猫には常に「現在」しかない。この半年のことを振りかえってしみじみと感慨に浸ることなどクーにはありえないだろう。クーはただ、今現在のすこやかさに満たされ、機嫌よくのんびりと過ごしているだけだ。

 それでいいのだ。僕が施した献身的な介助に感謝などしてくれなくていい。ただ快適に過ごし、よく食べ、ときには僕を追いかけっこに誘ってはタカタカと元気に走りまわっていてくれさえすれば、そして遊びに疲れたら陽だまりでしあわせそうに丸くなって眠っていてくれさえすれば、それが何よりのお返しとなるのだから。

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〈終わり〉

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