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2020年12月28日 (月)

クーをめぐるさらなる顛末(4)

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 こうして注入給餌の「適切な方法」を見出したことは、僕の辛抱づよい試行錯誤の勝利だったと思う。しまいにはクーは、この注入に対して、驚くほど協力的にさえなっていった。注入するには、まずクーの体を覆っているボディスーツの背中側の合わせ目からマジックテープを剥がし、丸めて収めてあるチューブを取り出す必要があるのだが、僕がそれをしようとしただけで、自らペタリとおなかを床にくっつけて這いつくばる姿勢を取り、そのままじっとしているようになったのだ。

 注入には、なんだかんだで正味15分ほどはかかるのだが、その間、クーは身じろぎもせずにいる。そしてひととおり済んで僕がマジックテープを合わせてスーツを着せなおしても、まだじっとしている。いつ終わったのかが、クーにはわからないらしいのだ。だから僕は、「ほら、終わったよ」と言いながら、おなかの下に手を差し入れて立たせてやる。そうするとようやく、「やれやれ」とでも言わんばかりにひとつ悠々と伸びをしてから、おもむろに歩み去るのである。

 なんならクーは、むしろこういう形で給餌されることを、喜んですらいるのではないかと思われる節があった。その体勢になっている間、のんきにあくびをしたり、ゴロゴロと喉を鳴らしていることもあったからだ。注入されること自体を気持ちがいいと思っているわけではないにしても、なんとなく僕に「世話をされている感」があり、それは喜ばしいと感じているのではないか。実際、主治医にこのことを話してみると、「たしかに、お父さん・お母さん(主治医は飼い主のことをそう呼んでいる)にそうされるのを喜ぶ猫も稀にいるみたいですね」と笑いながら言っていた。

 ただし、この注入給餌は、とにかく手間がかかった。一度に注入する量が多すぎると胃に負担がかかる可能性があるので、給餌は日に3度くらいに分けたほうがいいと言われてからはそうしていたのだが、「i/d消化ケア」に水を加えてフードプロセッサーで粉砕し、粉薬を水に溶いて、それぞれをシリンジに充填して準備を整えてから、クーへの注入を行ない、使用したフードプロセッサーやシリンジなどを洗う、という一連の作業には、どうしても40分はかかる。それを1日に3回ということはつまり、クーに給餌・投薬するためだけに、1日に2時間は無条件に取られるということを意味する。

 それに、給餌に必要な「i/d 消化ケア」やシリンジを、いつでも必要な分だけ確保しておくことは、思いのほかむずかしかった。

 シリンジはその都度洗って何度も使用するのだが(本体には”SINGLE USE ONLY”、すなわち「使用は1回限り」と明記されているのだが、東大ですら、その言いつけを愚直に守ってはいないものと思われる。東大から最初に手渡されたシリンジからして、犬かなにかがかじったあとのついた、「使用感」のあるものだったからだ)、何度も使っているとゴムの部分の摩擦がきつくなり、使用に耐えなくなる。「i/d 消化ケア」も、クーの体重から割り出すかぎり、1日に1.5缶は必要だった。

 僕はこれらの消耗品をAmazonで購入していたのだが、そうそう需要のあるものでもないらしく、一時的に品切れになっていたりする。そんなときは、地元クリニックにわけを話して、備蓄分を分けてもらったり、場合によっては医療関係のルートを使って取り寄せてもらったりしていた。それも含めて、クーに滞りなく必要な栄養分を与えるための手配や世話に、僕は日々追われていたのである。

 もちろん、それでもクーが元気でいられるなら、それに越したことはない。事実クーは、本来の病変部は早々におさまってしまっていた一方、注入給餌によって必要な栄養分は十分に与えられていたため、見た目はすっかり元気になっていた。残る問題は、再び自分の意思で飲み食いをしてくれるようになるかどうか、その一点に集約されていた。

 一時は、仮に抗がん剤治療が終わったとしても、このままクーが自分の意思では飲み食いをしない状態が続いたとしたらどうすればいいのか、と気を揉んでいたのだが、8月も下旬に至る頃、転機は突如として訪れた。もしかしたら食べてくれるかもしれない、というかすかな期待のもとに毎日エサ皿に盛っては、結局いっさい口をつけられないまま湿気させてしまってただ廃棄していたドライフードに、クーがある日突然、口をつけたのである。

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 もっとも最初は、本当に食べているのかどうかはかなり怪しかった。口をつけているのはたしかでも、その後はなんだか口をくちゃくちゃさせているだけで、咀嚼音が聞こえてこない。エサ皿を見ても、ただ単にフードの一部を舌で皿の外に押し出しているだけのようでもあった。自分の意思で食べるということを長いことしていなかった間に(6月の下旬以来、このときまで、クーは丸々2ヶ月にわたって、自分の意思では食べ物にいっさい口をつけていない)、食べ方というものを忘れてしまっているようにも見えた。

 しかし何日かしたら、ドライフードをかじる「カリッ、カリッ」という音――久しく聞いていなかったたしかな咀嚼音がそれに伴うようになり、エサ皿の中もたしかに着々と減っていることが確認できるようになった。涙が出るほど嬉しかった。飼っている猫がただをエサを食べているというそのことが、これほど嬉しいとは……。

 それでもその頃はまだ、「たまに気が向くと」という程度の頻度だったのだが、そうして自ら食べる量は日に日に増えていった。それからは、クーが自分の意思で食べた分を見極めつつ、1日に必要な栄養量として足りない分だけを注入給餌で補う、という形を取るようになった。

〈以下続く〉

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