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2021年11月14日 (日)

クーをめぐる顛末 ―最終章― (2)

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妻とも相談したいので、少しだけ時間がほしいと願い出ると、主治医は「もちろんです」と応じてくれた。妻は職場に出勤していたが、「なにかあったら連絡してくれてかまわない。すぐには応対できないかもしれないけど」と言ってくれていたので、取り急ぎLINEで概要を伝えて意見を訊いてみた。しかし、メッセージはいっこうに既読にならない。電話もかけてみたが、応答はない。

あとから聞いたところによると、妻は午前中からLINEはまめにチェックしていたのだが、僕が相談を持ちかけた時間帯はたまたまタイミングが悪く、ほかのことにかかりきりになっていたという。いずれにしても僕は、妻からの応答を待っている間に、だいぶ心の整理ができてきていた。治療は断念して、家で看取ろう――ほぼ、そういう方向に意向が定まりつつあったのだ。

クーはこの4月で14歳になったところだった。猫としては、もう十分に生きてくれたし、これまでに十分すぎるほど、僕たちを楽しませてくれ、癒してくれた。去年のリンパ腫の際にはもはやこれまでかと思っていたが、それも乗り越えてさらに8ヶ月も、元気でのんきな姿を見せてくれた。これ以上、苦しませてまで生き延びさせようとするのは、飼い主のエゴでしかないのではないか。それに、延命を試みるつもりで入院させ、輸血を受けさせている間にもし死んでしまったとしたら、僕たちがいない見知らぬ場所で、寂しく心細い状態に置いたまま、クーを一人で逝かせてしまったことを、僕はのちのちまで悔やむことになるだろう。

1時間以上が過ぎ、主治医が気遣わしげに待合室に出てきたときには、僕はすでに決意を固めていた。今回はこのまま治療させずに連れ帰るとの意向を告げると主治医は、「そうですね。クーちゃんは去年がんばってくれたし、それもいいかもしれません」と応じてくれた。症状をいくらかやわらげるかもしれないというステロイド剤を2週間分処方されたが、それを実際に飲ませる機会はないかもしれないと思った。貧血傾向の悪化度合いからいって、もってあと数日だろうと踏んでいたからだ。

家に連れ帰ったクーは、病院帰りのときには常にそうであるようにいささかぐったりしてナーバスになってはいたが、やがてお気に入りのソファの上に移動してきて、寛いだ様子を示しはじめた。そして僕がその頭や背中を撫でていると、さも嬉しそうにゴロゴロと喉を鳴らしはじめた。ついさっき、どれほど残酷な宣告を僕が受け、どれだけつらい決断を下してきたかも知らずに……。僕はその姿を前に、こらえきれずに涙をボロボロ落としながら、「これでよかったんだ」と思っていた。

クーはどこよりも家の中が好きな猫なのだ。なじみのある場所で、僕や妻に見守られ、かまわれているのがいちばんしあわせなのだ。残りわずかな命ならなおのこと、クーがいちばん安心できるその状態の中で看取ってやりたい――心からそう思った。やがて帰ってきた妻も、僕の決断に異を唱えることもなく、結果として一人で決めさせてしまったことを申し訳なかったと言ってくれた。

さて、あと数日の命だろうと思っていたクーだが、翌日、不可解な行動を取りはじめた。しきりと猫トイレに行っては、いきむのだ。過去6日間ほど、固形物をほとんど口にしていないのに、便が溜まっているはずもなかったし、実際、何も出ていない。それがあまりに頻繁なので心配になり、東大の主治医に電話で状況を説明してみたところ、「おそらく、腸管の病変のせいでなにか違和感があって、それが便意につながっているのだと思う」という見解だった。それは、僕自身の推測とも一致していた。

かといって、いわば幻のような感覚なのだから、どうしてあげることもできない。僕は、10分、20分おきに何度も何度もトイレのチップの上に乗っていきんでは、何も出てこずにあきらめて去っていくクーの姿を、せつない思いでただ見守っていた。

ところがその日の晩、奇跡のようなことが起きた。キッチンの隅に置いてあるクーのエサ皿のあたりから、「カリッ……カリッ……」という聞き慣れた音が聞こえてきたのだ。まさか、と思いながら見に行くと、クーがドライフードをかじっていた。どういうわけか、食欲が突然回復したのだ。しかも、けっこうな量を食べる。

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半信半疑の思いで見守っていたのだが、その後もクーは、ちょくちょくエサ皿の前に行っては、ドライフードを食べつづけた。一日あたりで計算すると、元気だった頃に匹敵するほどの量に達していた。水も自分の意志で再び飲むようになり、数日の間に本来の活力もあらかた取り戻していた。便もまた出すようになり、おかげで「幻便感」とでも呼ぶべき例の錯覚にも悩まされなくなったようだった。呼吸が速くなるようなことも、いつしかなくなっていた。

これはあくまで推測だが、なにかの加減で食欲が回復し、再び十分な量のフードを食べるようになったことで、造血作用も起きていて、赤血球が減少していく動きとそれが拮抗していたのではないかと思う。しばらくはその状態が続いた。そうなると、東大に連れていったときの、貧血で今にも死にそうだった状態とは条件が異なる。このコンディションなら、比較的リスクの少ない状態で、抗がん剤治療を受けさせることも視野に入ってくるのではないか。

東大の主治医も、電話で相談するかぎり、そういうことなら、治療が成功する可能性が高まったかもしれないという見解を示していた。僕も妻も、かなり迷った。それでも結局、結論は覆されなかった。治療のためとはいえ、クーに人為的に苦痛を与えているさなかに命が尽きてしまうというリスクが高確率で存在している以上、根本的な事情は変わらないのだ。

なお、再び食べるようになってからのクーの便通はきわめて規則的で、便の状態もよかった。便通が再開した最初の2回ほどはやや軟便で、「やはり病変が進んでいるのだ」と解釈していたのだが、その後再び、見た目だけは実に健康そうな、色つやもいい理想的な便に戻り、腸管が病変で冒されているのだということが信じがたくなるほどだった。腸管から出血していたのだとすれば、便にも当然、その影響が出ていたはずだ。赤血球の減少は、どちらかというと溶血が原因だったのかもしれない。

ともあれ、まだしばらくは生きそうだということがわかった時点で、東大で最後に処方されたステロイド剤も飲ませることにした。クーに錠剤を飲ませる際には、無理やり口をこじ開けて、喉の奥に薬を放り込む形を取る。今にも死にそうなクーにそんなことをするのは忍びなくて、飲ませること自体を放棄していたのだが、そこも事情は変わった。残りわずかな日数だとしても、QOLを少しでも高めてやりたかったのだ。

それでもさすがに、そこから起算して2週間分の錠剤を使いきるまで寿命が伸びることはあるまいと思っていたのだが、クーは生きた。毎日よく食べ、常におおむね上機嫌で、それまでどおりの習慣的な行動をそのまま踏襲し、決まりよくくりかえした。

たとえば、朝、妻が出勤しようとして玄関まで移動すると、クーもついてきて、玄関の手前にある寝室の入口から僕を呼ぶ。本来は、出ていく妻を見送るという意味を持つ行動だったのだろうが、専業作家になってからの僕は、妻が出勤するタイミングでかろうじて起き出す(場合によってはその後、さらに二度寝する)生活形態になっていた。クーにしてみれば、「妻が家を出ていく」→「僕がベッドから起きてくる」という図式が頭の中で成り立っていたらしく、いつしか妻の出勤は、「僕が起きてくることに対する期待」にすり替わってしまっていた。妻がもう靴を履いているのに僕が起きてこないと、「起きなくていいの?」とでも言いたげにニャーニャーと僕に声をかけてくるのだ。

また、僕がリビングで一人、昼食を摂っているときには、どこからともなくやってきて、食卓のそばにあるソファの上に移動し、クーのために常にそこに敷いてあるブランケットの上で体を丸めることも、前からの習慣のひとつだった。そういうときに、とにかくそばにいようとするのだ。クーは、それも踏襲していた。ただし、毎日ではなく、気が向いたとき、条件が許すときだけだ。元気だった頃から、日中はどこかでぐっすりと寝入っていることもあり、その場合には、必ずしも姿を現さなかった。

〈続く〉

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