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2021年11月15日 (月)

クーをめぐる顛末 ―最終章― (3)

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夕方、そのリビングに据えてあるエアロバイクで僕が運動を始めると、やはりクーは、どこからともなくソファの上に移動してきて、僕が運動を終えるまではそこにいることが多かった。クーは、それも踏襲していた。そして運動を終えた僕が、ウェアーなどを洗濯機にかけるかたわらシャワーを浴び、髪を乾かしてから、洗ったものをカゴに移してベランダに干しに行くと、クーはそれについてきて、気が向けばちょっとベランダに出てうろうろして、そのあとは寝室に僕を誘うのが普通だった。ベッドの上で、僕に「つぶして」もらうためだ。

「つぶす」というのは、ベッドに横たわったクーの上に僕が覆いかぶさって、顔をおなかにすりつけたりしながら適度な「圧」を加えることなのだが、クーはそれが大好きで、毎回、ゴロゴロと喉を鳴らしながら大喜びしていた(母猫のおなか周辺にまといつき、子猫同士きょうだいで折り重なっていた頃のしあわせな記憶が喚起されるからなのではないか、と僕は見立てていた)。

それがどうして、「僕が洗濯物を干したあと」に定式化されてしまったのかはわからない。たぶん、ずっと前にたまたま何度か、僕がそのタイミングでそういうふうにクーをかまったことがあったのだろう。それがクーの頭の中では、「僕が洗濯物を干したあとには、“あれ”をやってもらえる」という形で登録されていたわけだ。もちろん、クーはそれも踏襲していた。

そして夕食は、妻が帰ってから二人で摂るのが普通だったのだが、そのときには、クーはやはりどこからともなくリビングに移動してきて、食事が済むまでは近くにいた。いる場所は、ソファの上だったり、食卓の下にセットしてあるベンチ(かつて、食卓には椅子が4脚あり、2脚ずつ向かい合わせになっていたのだが、わが家は来客もほとんどなく、妻と食事する際にはテレビに向かって横並びに座るのが普通なので、ある時期に対面の椅子2脚を処分し、横長のベンチに置き換えてしまっていた)の上だったりとまちまちだったが、いずれにしても、クーはたぶん、そうして「夕食の団欒に参加」しているつもりだったのだろう。クーは、その習慣も踏襲していた。

そうした姿を見ているかぎり、クーはまったくそれまでどおりであり、大病を患って近いうちの死を宣告されているのだということをしばしば忘れそうになった。ひょっとして、リンパ腫はなにかの加減で自然治癒してしまったのではないか、と信じたくなるほどだった。しかしもちろん、なんの治療もしていないのに、病状が逆のルートを辿ることなどありえなかった。2週間・3週間と過ぎていく間には、クーが着々と衰弱に向かっていることがはっきりと目に見えてきた。

クーの活発さや食欲には波があり、何日か食が細くなったかと思うとまた持ち直すというパターンをくりかえしていたが、持ち直したとしても、最初の水準まで戻ることはもはやなかった。上がったり下がったりしながらも、均せば確実に下向きになっている曲線が、そこには見えた。それでも2週間分のステロイド剤はあっという間に尽きてしまったので、さらに2週間分、地元のクリニックで処方してもらっていたが、今度こそ、それを使い切るまではもたないだろうと思っていた。

10月に入ったあたりから、クーの食欲は再び目に見えて落ちていった。そして、毎日の習慣についても、ひとつずつ、それまでどおりにはなぞらなくなっていった。そもそも、東大で診てもらった時点では「 もってあと数日の命」と思っていたクーが、それから1ヶ月近く、わりと普通に暮らしてこられたこと自体が奇跡のようなものだったのだが、「いよいよなのだな」と思うとやはり、事実を受け入れがたい気持ちにさせられてしまっていた。

その頃には、少しでも目先が変われば、目新しさもあって口にしてくれるのではないかと期待して、それまでは与えていなかった銘柄や、ゼリー状・テリーヌ状など形態もまちまちなキャットフードをあれこれ買ってきて試したりしていたのだが、たいていは、ひと口・ふた口食べるともううんざりしたような顔をして、ぷいといなくなってしまうのだった。

クーが最後に食べ物を口にしたのは、10月8日の午後だった。汁気の多いパウチのスープ部分だけをわずかに飲んだのをしめくくりとして、もう何も口に入れようとしなくなった。すでにだいぶ痩せ細って、毛皮越しに骨がゴツゴツと突き出したようななりをしていたし、ほとんどの時間は、テレビの裏だとか、ベランダへのサッシとキャビネットの隙間だとか、薄暗くて狭いところに潜り込んで出てこなくなっていた。手を伸ばして触れても、もはやゴロゴロいうことが稀になっていた。

地元クリニックに追加で処方してもらったステロイド剤は、残り2錠のところで、投与を中断していた。無理に飲ませること自体がつらい状態になっていたからだが、日数としては、優にそれを使い切れるところまで生きていたということになる。それでも、終わりのときが間近に迫っていることはまちがいなかった。だから僕は、その10月8日も、予約していた(自分がかかっている)糖尿病クリニックに向けて出かけようとしていながら、その間にクーが死んでしまっていたら猛烈に悔やむだろうと思い、直前で予約をキャンセルしたほどだった。

ところが、奇跡のようなことは、その後もさらに起きた。それが正確にはいつのことだったのか、僕にはわからなくなってしまっていたのだが、今調べてみたら、どうやら10月10日だったようだ。というのも、そのとき僕は、遅い昼食を一人で摂りながら、NHK総合でたまたまやっていた「歴史秘話ヒストリア」かなにかを観ており、そのテーマが「仮面ライダー50年の歴史」であったことを覚えていたからだ。厳密には、「歴史秘話 仮面ライダーヒストリア」と呼ばれる特番だったようだが、NHK総合でそれを放送したのは、まさに10月10日の午後3時からだったのである。

そのときクーは、キャビネットとサッシの隙間に潜り込んでいた。その頃には、そういう場所でじっとしていられると生死すらさだかではなく、何秒間かじっと様子を窺って、おなかのあたりがゆっくりと上下しているのを見届けてほっとしたり、手を伸ばして触れてみて、温かかったり、しっぽをつまめばしゅるんと動いたりするのをたしかめて胸を撫で下ろしたり、という按配になっていた。

僕はクーがそこに引きこもって出てこないことをさびしく、かつ心もとなく思いながら、そしてさほど興味も惹かれないまま「歴史秘話 仮面ライダーヒストリア」に目を向けながら、リビングで一人、食事をしていたわけだ。テレビをつけた時点で番組はすでに終盤にさしかかっていたのだが、そのあと、藤岡弘が主演を務めた初代「仮面ライダー」の第1話を丸々放送すると知って、「これは観なきゃ」と思った。ところが、それが始まってまもなく、僕は「仮面ライダー」どころではなくなってしまった。

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それというのも、ずっと隙間に引っ込んで姿を見せずにいたクーがよたよたと出てきて、ソファにセットしたブランケットの上に自ら乗っていったのだ。そんなことは、もう1週間ほどなくなっていた。なにかのまちがいではないかと思ってしまったほどだ。おそるおそる、そばに寄っていって撫でてみると、クーはそれを煩わしそうにするでもなく、やがてかすかにゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてきた。もうショッカーなんてどうでもいい、と思った。今は、クーが再び、一人で昼食を摂る僕のご相伴を務めてくれていることのほうがはるかに大事だ。

僕はクーのおなかに顔をすりつけながら、またしてもボロボロ泣いてしまった。たまたま具合がいくらかよかっただけなのかもしれない。それでもクーはそのとき、僕が昼食を摂っているタイミングで自分がよくそうしていたことを思い出し、乏しい力を振り絞って、その習慣をなぞってくれたのだと思った。途中からは、ゴロゴロいう音も全開に近くなっていた。10分か15分くらいはそれが続いただろうか。少し気が済んだ僕が、使い終えた食器をキッチンのシンクに運んで片づけている間に、クーがソファを降り、もといた隙間によたよたと戻っていく姿が見えた。まちがいない、クーは、僕の昼食にわざわざ「つきあって」くれていたのだ。

〈続く〉

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